早坂暁さんの『君は歩いて行くらん 中川幸夫狂伝』【求龍堂 2010年8月刊】に
「業俳」という言葉が出てくる。
―業俳。プロの俳人、俳句で生活する俳人、とあった。
読みは「ぎょうはい」。本業が別にあって趣味として愉しむ人のことは遊俳といい、俳諧師とは呼ばれない、とウィキペディアにはある。
早坂さんの本では、業俳は師匠の添書を携えて俳諧修行・行脚に出る、と続く。
『行脚には、乞食行脚、上り端(はな)行脚、座敷行脚がある』
まるで剣術者の武者修行、とも書かれている。句の出来具合によって、〈門前払い〉から〈座敷に上げてもらえるクラス〉まであって、業俳修行は、なかなか大変だったようだ。そりゃそうだろう、俳句ひとつで少なくない金子を頂戴するのだから。
こちらは、加藤郁乎さんの句。
業俳の田舎まはりや走馬燈
俳句で食べられるようになるまでの階梯、それぞれの地方にいたであろう目利き・達人と田舎モノ、漂白のうちにも流れる月日、などなど、色々と考えさせられてしまう。
全国行脚、他流試合がプロを育てた時代が確かにあったのだ。
業俳と遊俳。映画にとっても他人事ではない。