2ペンスの希望

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千鳥

昨日、金子みすゞに触れた。そうしたら、不意に田中千鳥のことを思い出した。
今日は千鳥のことを書く。
田中千鳥。1917年(大正六年)3月 山陰鳥取気高町に生まれ1924年(大正十三年)8月没。亡くなったときは小学二年生だった。
千鳥のことを知ったのは、たまたまだ。十年ほど前『海鳴り』という冊子に上村武男さんが書かれた論考「千鳥―月光に顕(た)つ少女」を読んだ。【2001年5月編集工房ノア発行『海鳴り』14号】これが出会いだった。
中で上村さんも書いておられるが、金子みすゞと「同じ山陰生まれ」「時代もあまり離れない」「夭折の童謡詩人」という共通項に惹かれた。もっとも千鳥の方は、夭折というにも早すぎる。たった七歳半の一生だった。もとより当人に童謡詩人の自覚はなかったことだろう。死の翌年に母親が『千鳥遺稿』を作った。僅かばかりの詩と日記と作文と手紙、それが千鳥の遺したすべてだ。
恐らくは上村さんもそうだったのだろうが、一読一発で持っていかれた。千鳥の詩の現物については、ここでは触れない。どう読まれるかは人様々だろうから‥。(ちょっとでも興味を持たれた方は、是非 有志の方が作られているホームページ「ばら色のリボン」を訪問されたい。http://www.sakkalink.com/cdr/ncdr.htm )
拙は、『千鳥遺稿』の復刻版(気高町教育委員会・文化協会刊、非売品)を送っていただいて読んだ。その後、ことあるごとに何度も読み返している。読後感については、先の上村さんの論考に尽きている。そこで、勝手に引用する。
「千鳥の詩は、読めば読むほど、余白が広い。それは、幼くて、言い足りないところがたくさんあるという意味ではない。無限のように余白が広い。それは、いいかえれば、とつぜん堕(お)ち込んだような余韻の深さだ。」
「死者のいる場所まで届く言葉、それがほんとうの言葉だ。死者を胸に抱いて生きる者の言葉が、この世でいちばん遠くまで届く言葉だ。千鳥の言葉は死を抱き、死を視ている、とわたしには思え、だからほんとうの言葉の力をもっているように思うのである。人は死ぬのである。だが、その死といっしょにほろびるような言葉はすべていやしい。千鳥の遺した言葉は、極度の早世がそれを可能にしたものともいえようが、天与のように、いやしいところがすこしもない。わたしは六歳や七歳の千鳥に教えられているのだ。」

              【引用はすべて上村武男「千鳥―月光に顕(た)つ少女」から】

みすゞだって悪くはない。けど、千鳥もいるのだ。
世界は広くて深い。才器は在野に満ちている。