2ペンスの希望

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自分で見る

一昨日、98%の映画はどうにでも評価できる、と書いた。だから誰も信用してはいけない。当たり前のことだが自分のこの目で見るしかないのだ。それも(ゆるされるなら)出来るだけ沢山。
ただ、間違ってはいけない。沢山見たから偉いのではない。生涯忘れられない一本に出会えれば、そのほうがラッキーだと思っていい。よく年間何百本見た、それも劇場で‥ということを自慢する人がいるが、それがどうしたとでも応えるしかない。
映画評論家を自称する人の中には、他の映画それも他の人が作った映画や古典的な名画(権威的な映画)を例に挙げて論評しているものを見かけるが、これも殆どとるに足りない。大半は知識のひけらかし、ポレミークのふりをした言いっぱなし・単なるおしゃべり好きだと思えばいい。自分を大きく見せないと営業上まずいのだろうから、商売の邪魔はしないが付き合う謂われはない、スルーすればいい。彼らは、映画が好きなのではなく、映画を論じることの出来る自分が好きなだけではないのかと邪推したくもなる。そんな連中が百人束になっても淀川長冶さんに勝てるわけがないのはハッキリしている。
本当の映画好きは、何百本観たと自慢などしない。もっともっと沢山観たいと思っているだけだろう。