2ペンスの希望

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ディレクターズカット

昨日の続き、ディレクターズカットの話。
知られた話だが、イタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年日本公開)には、幾つかのバージョンが存在する。155分のイタリア公開版。123分の日本公開版。そして、173分のディレクターズカット版(日本発売のDVDでは「完全オリジナル デジタル/リマスター版」と称しているらしい)。
それぞれ、物語の力点もエンディングも大きく異なる。あるものは甘美な追想・ポジティブな結末、別のひとつは人生の苦味が利いた大人の味わい・甘くない終わり方だ。(ご興味の向きはDVD等 現物に当たられたい)どちらがホンモノ・正しいという論議はむなしい。好き嫌いはあろうが、どちらもホンモノ・監督さんの作り物だというしかない。その時、どんな年齢どんなシチュエーションどんな体調どんな精神状態で出会うかによって、映画から受け取るものも噛みしめるものもその都度異なる。何十年ぶりかに見直して、忘れていないワンカットワンシーンに心高ぶることもあれば、白けることもある。年齢を重ねた故に発見することもある。
映画は不純度が高い。映画は表現である以上に一つの体験なのだ。若い頃からそう感じながら映画を見てきた。傷ついてボロボロになったフィルム、ぼやけたピント、欠けたフレーム、スクリーンの大きさ、‥映写環境は毎回違う。それでも映画を楽しんできた。それがDVDになり比較的均質安定した画面で再生されるようになって、かえって純度や完璧さが求められるようになって、窮屈になってしまったような気がする。作り手の意図に忠実に、傷一つない完全な映像で‥という想いも分らぬではないが、やはり、ディレクターズカットは好きになれない。