2ペンスの希望

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アウトロー・サムライ嫌い

アウトローもサムライも嫌いだ。
アウトローについては「既成の社会秩序から踏み出す荒ぶる勇者」と賞賛するムキもある。そんな風潮に呉智英さんが異議を唱えている。【『吉本隆明という「共同幻想」』筑摩書房2012年12月10日刊11頁】
「(アウトローは)孤高を選択した一匹狼ではなく、捨てられた野良犬である」と斬って捨てる。字義通り、法の埒外の人。それ自体貶められるものではないが、褒められたものでもない。なのにどこかでかっこいいと憧れるメンタリティーが忍び寄る。サムライも同様。「あの人はなかなかのサムライだ」といえば褒め言葉だろう。打算や小細工に走らないエライ人というわけだ。武士は食わねど高楊枝、ってか。
アウトロー支持・サムライ擁護には、商人・商売への蔑みが臭う。しかしである。打算や小細工や損得勘定は、そんなに恥ずかしいことなのか。過敏すぎるのかもしれないが、映画を「作品」と呼ぶことに対する抜きがたい抵抗感。その根っこにはこの思いがある。作品≡商品じゃないか。打算や損得を省みないではすまない(済まない 澄まない)。小田嶋隆さんも武士嫌いの理由をこう記す。【『小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句』日経ビジネスオンライン2013年2月15日号「もののふが見逃す夏のレスリング」】
サムライマインドの人間が商売で失敗するのは、第一に商売を軽視しているからで、第二に現実を知らないからで、第三に無駄なプライドを捨てられないからだ。
サムライマインド・アウトロー「気取り」「似非」も嫌いだが、正真正銘の輩も困りものだ。
ニセモノもホンモノもともに駄目だ。