2ペンスの希望

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情緒的な言葉たち

情緒的な言葉がある。「心を痛める」「寄り添う」「向き合う」「触れ合う」「癒す」「気遣う」「思いやる」「きずな」‥‥商業新聞やお役所の広報などによく見られる言い回しだ。
悪い言葉ではない。口当たりも耳障りも良い。ただ、どこかしらに気色悪さも感じてきた。従って自らは使わないできた。
ここに来てこの情緒的な言葉を拒絶する風潮が生まれ始めていると聞いた。年配者ほどゆるく許容度が高いこれら情緒的な言葉に対して、若い世代を中心に嫌う傾向があるというのだ。昨日に続いて小田嶋隆さんもこんな風に書いている。【『小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句』日経ビジネスオンライン2013年2月22日号「ネット弁慶が街中に現れた理由」】
勝手に要約すればこんな感じか。「論争的な問題を情緒的な言葉を使って曖昧にする、そのことで対立点をぼかす。オトナの姿勢、その背後にある嘘・卑怯・いかがわしさ・うさんくささに敏感になっている」良い傾向だ。「心を痛めている」と書くより「アタマにきている」と書くべし、と主張する。
もうひとつ、小田島さんの師匠筋・故ナンシー関先生の言。
『お涙ちょうだい』はいつも創造力の貧困の逃げ場である。なのにそれを堕落だと認識さえしていない鈍感が大流行している。人の感傷に訴えて涙を誘うのは低次元だ。
そういえば、昔から広く言われてきた。「泣かせるより、笑わせる方が百倍難しい」
ウエットよりドライ。「泣き」より「笑い」。何故か。「笑い」からは(理不尽に対する)「怒り」が湧いてくるからだ。笑いから湧いてくる怒りは、怒号飛び交い青筋立てて周りを不快に巻き込む怒りではない。軽みに裏打ちされた「怒り」である。「泣き」からはせいぜい「逃げ」と「泣き寝入り」くらいしか生まれそうにない‥‥少し言い過ぎか。