2ペンスの希望

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謎を書く人・解く人

たとえて言えば、「作家は謎を書く人」、「観客は謎を解く人」でしょうか。なのに「そんな謎解きたくもない」という時代、作家は「誰に向かって語るのか」という壁に向かわざるをえない。
大学の先輩からこんなメールを戴いた。
確かにマスが見えなくなった。もしかしたら消滅したのかもしれない。それでも、この「謎を解きたくもない」時代にあって、「逃げられない・逃れられない謎」を「誰に向けて」「いかに仕掛けるのか」それが「作家」の腕の見せ所だろう。
こうも言えそうだ。
いつの時代にあっても、謎を柔軟に受けとめ敏感に感応するのは、完成された「オトナ」ではなく、発展途上人の「ワカモノ」だろう。年齢ではない。VAN jac.のキャッチフレーズでもないが、for the young and the young-at- heart。
メディアには昔から「最近のワカモノの◎◎ばなれ」という決まり文句が踊る。しかし、惑わされてはいけない。嘘だろうと疑ってみることだ。「観客」(若者)のせいにしたり「時代」のせいにして「謎」掛けをサボるのは「作家」の怠慢だろう。小難しくこねくり回した「芸術」を誰も食ってくれないと嘆くのでは見苦しい。
単純明快なワンツーパンチで観客をノックアウトする「力量」が不足しているだけ。
時代や環境は変わっても、人間はそれほど変わっちゃいない。  そう思うがいかが。
だとするなら、謎を「解きたくもない」のではなく、「解きたくなるような」謎が見つけにくくなっただけ、そう考えたほうが良さそう、健康的だ。
誰もが解きたくなって思わずウズウズするような、普遍的・魅惑的な謎を準備するのは、いつだって作家の仕事、そうに決まってる。