2ペンスの希望

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鳥の背後

作家は鳥の目ですべてを見ている。観客は虫の目で一歩一歩リニアに進むしかない。よく言われる比喩だ。鳥の目、虫の目。
作家は、全体を見渡した上で、観客の理解の幅を見積もりながら、ときに揺さぶりときにエサを撒きながら語り続ける。その通りだろう。この構造・位置関係は不変だ。虫から見れば作家=鳥は、確かに俯瞰する神だ。
しかし、こうも言えるだろう。
リニアで進みながら虫は時として空を見上げる。そして、鳥の背後に広がる青空を知る。遙かな天空を仰ぎ見る。下ばかり見ている鳥は天空の無窮になかなか気付かない。皮肉な真実というべきか。
さらにさらにこうも考えられそうだ。
虫は見上げることしか出来ないが、鳥は、地上を見下ろしながら背中の天空・果てしない宇宙を意識する。地上と天空・背中合わせに二つの視覚を生きる存在。その自負と責任と可能性こそ作家的特権なのだ。ただし、特権に酔ってばかりで(拠ってばかりで)背後の天空の高さ(深さ)におののかない作家は二流以下。そう思って間違いはない。