2ペンスの希望

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映画のG(重力)

偽札づくりの濡れ衣から人生を狂わせられる青年を描いたヨーロッパ映画を観た。1983年R・ブレッソンが82歳で作り最終作となった『ラルジャン』。気楽に見られる映画だとはとても言えないが、心に残った。
管理人と同年代の映画評論家芝山幹郎はこんな風に書いている。「この人の映画は好きになったことがない。愛着を感じたこともない。たぶん、笑わせてくれないからだ。広がりを感じさせてくれないからかもしれない。
だが、彼の映画を無視したり軽視したりしたことは一度もない。好きではないが、興味深い。楽しくはないが、面白いのだ。
なによりも、場面のはしょり方に刺激を受ける。物音の使い方も面白い。台詞の少なさに身を乗り出す。上映時間の短さと歩幅の大きさの対照は、実に興味深い。
映画にはお説教臭さはみじんもない。あるのはむしろ、なにもかもを突き放したような虚無感だ。
それにしても、彼の映像からは、もののみごとに説明的なシーンが排除されている。90分弱という上映時間は、この省略の産物だ。

当のブレッソンはこうコメントしている。「私が求めているのは、描写ではなく事物のヴィジョンなのです」
安物の映画は、説明する。フツーの映画は、描写する。ごく一部の特異な映画は、ヴィジョンを伝える、ということでもあろうか。 映像のG(重力)が大きいのだ。 硬度と密度、強度はハンパじゃない。サスペンスが気持ちよい。
映画は面白おかしく分かりやすいのが一番、映画を観るときくらい「現実のことは忘れて何も考えずに楽しい時間を過ごしたい」という方には必ずしもお薦めできない。
考えること(参加すること)を求める映画だからだ。けど、これこそ映画だといいたい思いも深い。不意に、「落語は人間の業の肯定」と語った立川談志を思い出した。
「人間の業の肯定」  映画もまたしかり だ。