2ペンスの希望

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読書が消費に、評論が宣伝に‥

「この人の新作が出たら、必ず読む」という人がめっきり減ってきた。次々に亡くなって逝くということもあるし、たまに新人にも挑戦するが、ハズレが多い。週刊誌も含め定期購読している雑誌もなくなって久しい。 ドンドン世間が狭くなっていく。ついでに料簡も。
そんな中、斎藤美奈子さんの本は欠かさず読む一人だ。
新作『名作うしろ読み』を読んだ。【2013年1月25日 中央公論新社刊】
古今東西の名作を俎上に載せ料理する。書き出しは有名だが、ラストの一文「お尻」はどうなっているのか132冊を調べまわった労作(?!)だ。いかにも思いつきそうなニッチ企画、アイディア倒れに終わりそうな際物懸念もあるが、そこはそれ斎藤さんの筆になるとなかなか読ませる。面白く読んだあと「あとがき」にこうあった。
「ラストがわかっちゃったら、読む楽しみが減る」
「主人公が結末どうなるかなんて、読む前から知りたくない」
そんな答えが返ってきそうだ。「ネタバレ」と称して、小説のストーリーや結末を伏せる傾向は、近年、特に強まってきた。
しかし、あえていいたい。それがなんぼのもんじゃい、と。
お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。

異議なし!溜飲が下がった。
「読書」を「映画」に置き換えてもそのまま通用する。「ネタバレ」を恐れるイマドキ批評の衰弱はひどいものだ。映画の味わいはストーリー以上に、文体・表現にこそある
このことは何度強調しても足りない。