2ペンスの希望

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編集の時代

昨日、時代を映す言葉として「セルフプロデュース」と「エディター」を挙げた。
今日は、エディターすなわち「編集」の話。
日本には今モノや情報が溢れかえっている。検索エンジンやアマゾン・楽天などを使えば、これらのモノや情報の殆どは比較的容易に手に入れられるようになった。
しかし、あまりに多すぎて、何を選べば良いのか、分からなくもなっている。
多すぎるがゆえの立ち往生。そこで、カタログやマニュアルが不可欠となり、ガイドブックやナビが重用される。この傾向は、ますます顕著に加速している。
一方で、選ぶ側の忙しさ、無闇なスピードアップが、間違いたくない、失敗したくないという強迫観念を深めていく。かくして、膨大な情報を整理・加工し、編集して提示する機能・エディターの登場となる。いまやゴマンと居るライターより、エディターの方がエライご時世なのだ。
かつてワイン選びの専門家を意味したソムリエという言葉のインフレ化も激しい。
野菜ソムリエや温泉ソムリエなどいまやあらゆる世界に無数の◎◎ソムリエが居る。
しかしである。或る事物・事柄に精通しアドバイスできる者がそれほど増えたとは思えない。かつては万人の目にさらされ淘汰され生き残ったものだけが目利きとして評価され遇せられてきた。それが、閉じた狭い世界で、手っ取り早く名乗ったモン勝ち、声の大きい面の皮の厚いのが幅を利かすようでは、宜しくない。
情報のフラット化・平準化が一度解体したはずの権威主義・縦のヒエラルキー構造。
それが、同じネット社会がもたらした情報のタコツボ化・密室化によって復活し、新たな権威主義を生んでいるのなら健康的とは言えない。
一見開かれた世界の、この閉じた有り様は見過ごせない。