2ペンスの希望

映画言論活動中です

編集の時代続く

引き続き「編集の時代」の話――
一世紀を超えて、映画もまた「編集の時代」に入った。
私たちの目の前には、古今東西、100年以上に亘る厖大な映画が広がっている。
或る昼下がり、歳若い友人(といっても例によって世間的にはかなりエエ歳のオッサン)との会話。

:先輩の時代の映画ベストテンといえば、多分『市民ケーン』や『第三の男』『七人の   侍』『東京物語』あたりだろうと思うんですが、最近のオールタイムベストテンが何か  ご存知ですか?
:いや、皆目わからん。
:F.F.コッポラの『ゴッドファーザー』ですよ。
:ふーん
:それより前の映画は最早、過去の遺物。忘れ去られたみたいですね。
  選んだのは現役の映画評論家や監督諸氏らしいんですが‥。
:成る程ね。
  もうかなり前の話になるけど、どうして映画の世界に入ったのかという話になった時、  若い連中がスピルバーグやルーカスの名前ばかり挙げるので驚いたことがある。
  特撮怪獣映画やSFを挙げるのも居た。スピルバーグやルーカスも悪くはないし、
  特撮やSFが駄目だとは云わないが、正直もっと他の映画も見てみたら‥と思った。
:いや、先輩。これは大学で映画を教える友人から聞いた話なんですが、最近の映画  好きの学生諸君は、日本の映画ではソウマイ(相米慎二監督)まで、ロマンポルノも  クマシロ(神代辰巳監督)までしか遡らない。それ以前は、「無(む)」らしいですよ。   古典・教養としてオズ(小津安二郎監督)やクロサワ(黒澤明監督)ナルセ(成瀬巳   喜男監督)は知ってはいても、一本も見たことがないのが当たり前。まして先輩がお  好きなシミズ(清水宏監督)やシマズ(島津保次郎監督)なんてチンプンカンプン。
:いや不勉強がイカン、無知が情けない、と言ってるんじゃないよ。
  人それぞれ。好みもあれば咀嚼力の違いもある。正解なんて無い
  なのになまじベストテンなんてことになると、結果だけが一人歩きする。今の時代の  この評価がすべてだと錯覚される。それが危ない。怖い。いや、もったいない。
:食わず嫌い。見たことも無いような映画の中にもビックリするようなのがわんさか
  埋まってるのにね。

「編集の時代」が「狭隘の時代」になることは避けたい。
自分の好みの開陳・押し付けなら勝手にやってくれ。
それでも尚且つ、普遍・客観・公共を如何に保証するか―これが問われなければ意味は無い、とロートルは思うのだ。
もっとも 無意味でもいいじゃない、とでも開き直られたら二の句は継げない。それでもそれでもロートルはしつこく思う。
自らが見聞きし体験した狭い世界だけが世界なのではない。世界はもっと広くてもっと深くてもっと恐ろしい。幾つになってもこれだけは忘れたくない。