2ペンスの希望

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新陳代謝

言葉は時代を映す鏡だとはよく言われる。
生まれ育った時代を背負って現われる。拙の場合‥‥イケメンよりハンサム、生足より素足、目線ではなく視線‥‥、つくづくオールド、正真正銘時代遅れの守旧派だ。
しかし、昔を知らなさ過ぎる、言葉遣いが間違っている、なんてお説教はあまり言いたくない、とは思ってきた。
少し前のブログで、言葉がどんどん軽くなっている、と書いた。
軽いに加えて、ゆるい、ぬるい、たるい、だるい、といったダウナー系も人気だ。
一方で、鬼〜、バリ〜、ブチ〜、ギザ〜、クソ〜、ゲロ〜、デラ〜、と刺激増幅系も増殖中。エロかっこいい、とか、キモかわいい、なんてのもある。「めっちゃ」は広辞苑第六版にも載るほどに定着した。新語ばかりじゃない。まったり、はんなりなんて復古調も最近よく見かける。
何度も書くが、こうした風潮、いけないとか嘆かわしいと言いたい訳じゃない。
時代の気分がそうなっているということだろう。 言葉の新陳代謝、新語・造語の濫造、いずれも若い衆の得意分野だろう。しなやかでしたたかと感心することもタマにはある。成る程な、言い得て妙、と合点することもマレにある。
髪振り乱し青筋立て口角泡を飛ばしながら一歩も引かず己が正当性を主張し続ける
旧世代なんぞ尻目に、新世代は自由に自在に滑走・快走すれば良い。
映画の世界も同様。少し早く生まれて、映画を知っているとか、フィルムの経験がある、なんてことだけを錦の御旗に掲げて居丈高に振舞う連中に碌なのは居ない。
ただ、願うのは、腕を磨くこと、芸を練り上げること。志だけて力がないのでは見苦しい。