2ペンスの希望

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やむをえず必然的に

映画の基礎理論を!なぞと大それたことを意気込んでみたが、出航そうそう難儀している。柄にもない身の程知らずと反省もしている。かの吉本隆明『言語にとって美とはなにか』第Ⅰ巻 第Ⅱ章の冒頭にはこんな記述がある。【昭和四〇年五月刊 勁草書房版】
わたしたちは空気を呼吸して生きている。そしてあるばあいは空気を呼吸していることをまったく意識さえしていない。おなじようにわたしたちは言葉をしゃべり、書き、聴き、読んで生きている。しかし、あるばあいには言葉をまったく意識さえしていないのだ。これはきわめて健康な状態だというべきである。言葉を言葉としてとりだして考察するという一種の不毛な病は、言葉をかくという作業がとめどなくすすみ、袋小路にはいってしまった文化の段階を示唆するもので、ふたたび古代人とはべつな意味で、言葉が物神にまでおしあげられたことの証左なのだ。だから、わたしたちは、やむをえず、という意味と必然的にという意味のふたつを背負って、言葉を言葉そのものとしてとりあげるのである。‥中略‥ これは、いままで身体を意識したこともなかった健康体が、大患にかかったあげく身体とはなにか、と問うことににている。
言葉を映像に置き換えてみるといい。まあ、いずれにしろ、病気持ちなことに違いはない。身の丈にあわせてゆるゆるよろよろ歩むしかない。少しだけでも、半歩でも‥。