2ペンスの希望

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『頭は一つずつ配給されている』

森粼東監督の本『頭は一つずつ配給されている』【2004年8月25日パピルスあい刊】を読んでいる。
映画の現場で鍛えられてきた言葉が並んでいて飽きない。
何故、映画にしたいのか?と言えば、別にその映画を製作し公開したいからではなく、私自身が、その映画を見たいからに外ならない
映画を作りたいのではなく、映画を作る現場でしか見られない、役者の素顔を見たいのである」(「ある事情のもと、ある人にみとめられ、ある場所で、ある光に照らされて、のっぴきならないところに追い込まれた時、浮べる一生に一度の表情――それが、その人の素顔だ、と私(森粼)は思う」)
もともと、映画を作る、という作業は、他人の目を直視しつつ何事かを語る、という作業にほかならない
つまり、人と人との間に成立するマヤカシでない種類のエーテルは他人の本気を正確に本気として感知しうる本気の他人がいる時流れる非物理的磁場であろう
若い映画監督のSさんが、セット見学に訪れて、ズバリ言った一言が
今僕を支えています。
「監督って、思い込みが大事ですよね」
その通り、思い込みのない映画作りは、最悪だと思います。
もちろん、その思い込みのギセイに観客が、される場合もあるでしょう。劇を観る、というのは一種の賭けでもあると思います

いちいち納得だ。 ただし‥
「思い込みのない映画は最悪」だが、「思い込みばっかりで腕もサービス精神(投資対価)もない素人映画はもっと悪い」 出来ることなら御免蒙りたい。
ん?なぜかって?
そういうお方には下記森粼デビュー作『喜劇・女は度胸』の名セリフを進呈する。
渥美清演じる兄貴が弟役の河原崎健三の頭を指差して毒づく。
バカヤロ、てめえの頭で考えろ、頭は一つずつ配給されてるんだ。おめえも一つ持ってるだろ 頭」 
このセリフ、現場で出た渥美清のアドリブだそうだ。台本にはなかった。‥‥事程左様に、血も涙も汗もある逸話満載のお薦め本だ。