2ペンスの希望

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「芸術のことは自分に従う」

テーマ・メッセージなんか無くても結構だが、
映画的な快感・文体・リズムが無いと辛い。  最近とみにそう思う。
劇映画と記録映画の区別なく、フィクションであれノンフィクションであれ、作家性というか「持ち味(のようなもの)」が感じられないと寂しい。感じられると嬉しい。
素材がどうであれ、調理人・調理法次第で旨くも拙(まず)くもなる。どんなにご立派な主義・主張・正義が盛られていても飲み込めないで腑に落ちないようでは困る。
そんなことをつらつら考えていたら、小津監督を交えた鼎談の記事のことを知った。
キネマ旬報No.212 1958年8月下旬号“酒は古いほど味がよい 「彼岸花」のセットを訪ねて小津芸術を訊く”】
座談の相手は岩崎昶・飯田心美、ともに昭和期に名を成した映画評論家だ。
小津の独特のカメラワークについて語り合う中で、小津は「絶対にパンしない」と言ったあとこう続けている。
性に合わないんだ。ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従うから、どうにもきらいなものはどうにもならないんだ。だから、これは不自然だということは百も承知で、しかもぼくは嫌いなんだ‥そういうことはあるでしょう。嫌いなんだが、理屈にあわない。理屈にあわないんだが、嫌いだからやらない。こういう所からぼくの個性が出てくるので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくともぼくはそれをやる。
自分を騙さない毅(つよ)さが眩しい。とどのつまり、表現の価値として残るのは、最初から最後まで「個性・持ち味」なのだろう。