2ペンスの希望

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学・習

今日は、学習という言葉について。 
以下は、白石崇人(しらいしたかと)さんという鳥取短期大学准教授(日本教育史、教師論・教育者論等がご専門)のブログからの引用。
「學」の漢字は、師弟が向き合い、師が知識等を授け、弟子がそれを受取ることを意味しているのです。
 「まなぶ」という日本語は、「マネブ」「マ・ ナラフ」という語が転じたものと言われています。「マネブ」は「真似ぶ」「真(誠)擬ぶ」であり、マコトたる真理と誠実とについて、正しい手本をまねることです。「マ・ナラフ」は「真(誠)習ふ」であり、真理と誠実とについて習うことです。「まなぶ」という日本語には、真理(すなわち深い知識)と誠実(すなわち道徳)について、正しい手本からまね、習うことという意味があるのです。
「習」という漢字は、「羽」と「白」の2つの部分から成っています。「羽」は、鳥の二枚のはねを並べた象形文字。「白」は、この場合、「曰」の変形文字です。
「ならう」という日本語は、「ナレアフ」「ナラシフ」「ナラブ」という語が転じた語といわれています。「習」の字は、もっと言えば、巣立ちを迎えた雛鳥やうまく飛べない若鳥が、繰り返し羽根を羽ばたかせて、よりよい飛び方を身に着けようとしている様を示しているともいえましょう。
つまり、「学習」とは、師によって伝授された高度な知識・態度・能力などについて、学習者が何度も何度も繰り返しまねをして、ついに同程度のものを身に着けるという、一連の主体的行為なのです。

(お断り:長文なので管理人が勝手に要約した。全文は、gooのブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/e/a457e1a6b053a79758ed93ae24a65079
さて、昨今は、学はあっても習が減った、世知辛くなった。そこまでの時間はかけない、かけられない。
けど、習作なしに秀作をものしようなんて‥そうは問屋が卸さない。
んっ? 問屋なんて無くったってイイって  ‥‥‥う〜む‥‥‥