2ペンスの希望

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予告編

60分、90分、120分の長さがあるのに、「予告編 」と称している映画がある。
『ベリー オーディナリー ピープル 予告編 』回復した精神障碍者たちの生活拠点である「べてるの家」(北海道浦河町)の日常を撮った連作。1995年から一気呵成に8本作られた。作ったのは四宮鉄男さん、敬愛する映画人のお一人だ。何故「予告編」なのか。今日はご当人には無断で、勝手に彼の言葉を引用する。
本編という一本の作品を作ろうとすると、どうしても完結性が求められてくる。作る側も見る側も完結性を求めてしまう。 感動がほしくなり、結論がほしくなり、意味づけがほしくなり、素晴らしさがほしくなり、立派さがほしくなる。 しかし、毎日毎日をただひたすらに生きていることには限りがない。
 生きることは、完結しない。生きることは死ぬまで続く。瞬間瞬間を輝いて生きているメンバーたちの姿を映像として定着していくのには、完結性が邪魔になったのである。生きることは、毎日毎日変わっていく。べてるもどんどん変わっていく。だから“べてるはこうです”とは、いつだって言い切れない。だからいつまでも予告篇なのだった。

関心とご興味の向きは、四宮さんのHPまで。
http://www.geocities.jp/gutetu64/manufacture/frame.htm
全くもって異議なしだが、そうすれば作られているほとんどすべての映画は予告編だということにもなる。まぁ、「予告編」という名のタイトルなのだとも言えるわけだが‥‥。
今日もちょびっと悶々。