2ペンスの希望

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単純明快の罠

情報過多の中では、単純明快なキャラ設定や、強いエモーション(記号性とか具象性とか)の方が受けがいい。分別容易。分かりやすく誰もが像を浮かべやすいからだろう。
複雑で構造的な問題を突き詰めるのはしんどい。時間も掛かる。手っ取り早く見えやすい部分をトリミングする方がはるかに楽ちんだ。
ジャーナリズムの世界では、「本来こうあるべきだろう」と語る人より、「要するにこういうことだろ」と単純明快、簡明手軽に結論を披露する人が重宝される。一刀両断。建前より本音が言える人、ハッキリものがいえる人、世間のわかった大人というわけだ。いかにうまく一部分を切り取り、都合よく切り出して直喩的なメッセージを送れるかの競争。
しかし、平野啓一郎との対談で森達也はこう語っている。
普遍的なものを深く届けるには、暗示的・暗喩的な文脈で表現しなければならない」【対談「フィクションとノンフィクションは“死”をどう紡ぐか」読楽2012年10月号】
なんでもかんでも140文字で語る狭窄衣は窮屈だ。そんな義務は無い。