2ペンスの希望

映画言論活動中です

クレオール化

永らく言語学を専門とする友人から面白い話を聞いた。
異なる文明・文化圏の接触面では、お互いの意思疎通のために新たな言語が生まれる。この言語のことをピジン言語というのだそうだ。 混合言語(接触言語)。
例えば、現地人と貿易商のあいだで交わされるようになった言語や植民地支配のために作られた言語、‥‥「インディアン、嘘つかない」とか「わたし、中国人あるよ」とか。
(「この表現には一部配慮すべき用語が含まれますが、作品のオリジナリティーを尊重しそのままで表記します」)
面白かったのは、その後に聞いた話。
このピジン言語が、世代を経る中で地元に根付き広く母語として使われるようになった言葉を言語学ではクレオール言語と呼ぶ。クレオール語は世界中に広がるが、共通の特徴があるという話だった。それ以前に存在した言語に比べて文法構造が必ず一段階ばらけ、純化するのだそうだ。
境界がぶつかり合い混交して溶け出すクレオール化は、文法を単純化させる。 う〜むこれを進化とみるか、退化とするか。
シンプルになることは、洗練化なのか、幼稚化なのか。
一方で、
クレオール言語では、語彙は極端に少なく、ひとつの単語が多義的に使われるという話も聞いた。なにやら昭和の映画と平成の映画の話をしている気分になった。舌足らずな幼児語や、紋切り型が闊歩している。