2ペンスの希望

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身過ぎ世過ぎは草の種

最近若い衆と話していると、
映画だけで飯を食うのがとても難しくなってきたという話によくなる。
兼業、二足の草鞋、掛け持ち、‥‥。
三十を越えて、介護職やビルメンの仕事に就きながら映画を作っている人もいる。
工事現場の交通整理や土木作業員をしている人もいる。
管理人と同世代のY監督は、1970年代の終わりに劇映画デビューしたのち永らくタクシードライバーとして働きながら次回作の準備に取り組んできた。
札幌の知人は、美容院を経営しながら、カメラを廻している。
副業作家、週末作家、内職作家、‥‥。
最近ドキュメンタリー映画が元気な中国でも、若い世代は彼女や女房に食わせて貰いながら映画を作っている、という話を以前 聞いたことがある。
身過ぎ世過ぎは草の種
何をやったっていい。
次世代の育成。業界がサボってきただけだ。(サボってきた が云い過ぎなら、育てる余裕が無かった と言い換えてもよい。いずれにしろ、事情は同じことだ。)
いつの時代にも、どんなことも、大切なことには後で気づく。手遅れだ。
学校があるじゃないか。そういわれるかも知れない。けど、学校でスキルが身に就き、腕が磨かれるとはとても思えない。仕事が人を鍛えるのだ。
長くライター仕事をしてきた神山典士さんは「私にも妙案があるわけではないが、最初は別の仕事を持ちながら生活費を稼ぎ、ライティングの腕を磨いていくという以外ないのではないかと思っている」と書き、永江朗さんは『書いて稼ぐ技術』の中で、「ライターは元手はいらないから兼業から始めよう」と書く。
四六時中二十四時間映画のことだけを考えて生きて行くのが難しくなってきた。
致し方ないことなのだが、そのためには、並々ならぬ持続力・持久力が求められる。
キツイ時代になった。イタイ