2ペンスの希望

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何でもあり らしさの刻印

高野慎三さんの『貸本マンガと戦後の風景』【2016年11月20日 論創社 刊】を読んでいる。時間も元手もたっぷり掛けた高野さんの「苛立ち」「物言い」分からぬでもないが、いささかルサンチマンが強すぎる気もする。それでもはじめて知ることも数あった。怠惰でディープなオールド漫画ファンにはたまらなく有り難い本だ。
貸本マンガ時代、滝田ゆう白土三平が描いていた原爆少女もの。
滝田ゆう(筆名は滝田博)『ああ長崎の鐘が鳴る』(1958 東京漫画出版社)
白土三平『消え行く少女 前後編』(1959 日本漫画社)




画業六十余年 何でもこいのオールラウンドプレーヤー水木しげるも東眞一郎や水木洋子などのペンネームでいくつも少女マンガを描いている。 『かなしみの道』(1959 「バレエ」第6集 中村書店)↓

思えば当たり前のことだ。
「描く(描ける)喜び」×「食うため」=注文に応じてプロは何でもこなす、何でもあり、だ。
映画界だって同じ。
身過ぎ世過ぎもあってTVCFやPR映画を手掛ける例は山ほどある。管理人周辺の見聞に限っても、昔々1968年に松竹の前田陽一監督が作ったヒガシマル醤油のPR映画、1979年 井筒和幸監督が当時のスタッフキャストとともに作った島根県隠岐諸島の観光映画『僕と隠岐島号』。最近では、自ら教える大阪芸大映画学科の学生たちと一緒に大森一樹監督が大阪府松原市の市制60周年施行記念映画を作っている。『ようこそ。松原』  感想は控える。ご興味の向きは自力でググってみて頂戴。
時宜を得て、時機に応じて、何をやっても結構、何でもあり、だ。とやかく言う筋合いはない。ただ、どんな仕事にも「らしさの刻印」は欲しい。それだけだ。