2ペンスの希望

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「物をつくり出すのは、おれたちさ‥‥」

みなもと太郎サン『お楽(たの)しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ』という本がある。
ご存知 和田誠サンのイラスト入り映画評論『映画の名セリフ―お楽しみはこれからだ』【キネマ旬報連載 単行本はパート7まで出ている】のパロディ=漫画版だ。(既に 和田さんの「お楽しみはこれからだ」そのものが映画『ジャズ・シンガー』のセリフ You ain't heard nothin' yet! からのもじりなのだから、手が込んでいる。)
まえがきにこうある。
「ひとのフンドシで相撲をとる」という言葉があるが、ぼくの場合は、ひとのフンドシで、ひとの土俵で、ひとのチャンコをくいながら相撲をとりつづけるようなものだ。ぼく自身のものなどなにもない。やたらと肩身がせまいのである。」どうしてどうして、みなもとサン、和田誠風の絵といい文章文体といい、なかなかの出来で、雑誌発表当時感心しながら読んだことを思い出す。懐かしくなって本棚から引っ張り出し読み直して見つけた一節。「●白土三平―『忍者武芸帳』1959
 「我々は遠くから来た。そして遠くへ行くのだ」

管理人と同年代には忘れられないセリフのひとつだろう。今も耳に残る。身に沁みる。
みなもとサンの文章を挙げる。
主人公がどこからともなく現われて、どこへともなく去るというのは、どんな作家でも一度は絶対描きたくなるパターンなのであろう。
 いや、本来物語とはそういうものなのかもしれない。それをナマに言ってのけると右の
(上の:引用者)セリフになる。 「私(わたし)は」ではなく「我々(われわれ)は」としたところに、作者白土三平氏の哲学というか人間観が語られているのだろう。貸本漫画の大長編「忍者武芸帳」の主人公、影丸の死に際のセリフである。この作品についての考察は漢字ばっかしの大論文があるからなにも言うことはないけれども、現在の漫画界の大混乱はこの作品から出発したと、ある意味で言えるのではないか。発表されて数年後にはあらゆるマスコミがいっせいに注目し、本来漫画に無縁であったはずの多くの識者たちが大議論を戦わせ始めたのである。あっけにとられる私たちを尻目に、以来、漫画に対する世間の目は完全に変わった。‥‥。漫画家がいったい何に魅かれ懸命な作業を続けているのか、この人たちには結局解らないだろう。(太字:引用者 ) 大長編しめくくりのセリフが全てを語っているような気がするのだ。  
「物をつくり出すのは、おれたちさ‥‥」
いつの世も変わらぬ。マスコミ、メディアと識者の浅薄に対する怨嗟と、作り手・実作者の自負とエールをともに感じる。
黒澤明七人の侍』1954のラストシーンに連なる名文句だ。