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『まんが学特講』実作と歴史

漫画は、映画と同じくらい好きだった。
貸本劇画から月刊誌、週刊誌、少年漫画から少女漫画、新聞漫画から、漫画読本・エロ雑誌までが守備範囲。小学校時代から大学卒業まで浴びるほど読んできた。そんな漫画好きのための特別講義本を見つけた。
2010年に出た『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』【角川学芸出版2010年7月 刊】講師はみなもと太郎(1947生まれ‥拙管理人と同世代)、受講生は大塚英志(1958生)と内記稔夫(1937〜2012 現代マンガ図書館設立)、大澤信亮(1976生)。 冒頭には「まんが家になろうとし、最終的にはなりそこねた」大塚英志が、高校時代アシスタントでもないのに仕事場に出入りさせてもらっていたみなもと太郎先生に三十年ぶりに話を聞く」とあった。その頃、「まんがを教える大学」の準備を進めていた大塚はこう考えた。
たいていの「まんがを教える大学」では「実作」はまんが家たちが、「歴史」はアカデミズム系か批評家出身の研究者が担当するのが常で双方は棲み分けている印象だった、けれども自分たちが学んでいくべきまんがの方法とそれがいかに成り立ってきたのかは一体となって、それこそ一つの講義として成り立つべきである、とだけ決めていた
手塚治虫に始まる「トキワ荘史観」と少女漫画の「二十四年組」に要約されてきた戦後まんが史の捉え直しは、同時代を呼吸してきた拙管理人にはすこぶる親和性が高く、今もって示唆的だ。映画表現や映画史のありようにも通じると強く感じた。
ということで、
1970年代までの日本のまんがに興味も知識もない人には退屈かもしれないが、 暫く構わず、目に付いた箇所を挙げていく。適宜「まんが」を「映画」と置き換えながらお付き合い戴きたい。 ‥引用中(み)とあるのはみなもと太郎発言。(お)は大塚英志発言。
(み)「過去の作品を全部知っていないと新しいものが出せないのは事実かもしれないけど、まんが家を目指す人に「それを学べ」というと結局過去の作品の物真似で終わっていく場合が九十九・九パーセントなので、これをあまり強く言うぐらいだったら、「好きなように描け、好きなように今まで無いやつをやれ」と言っておく方が新しい作家は育つと思う。
(み)「(ながやす巧の或るまんが本を評して)鳥肌が立ちますよ。構図、ペンタッチ、コマ割り構成、完璧です。非の打ち所がない。‥「劇画」というジャンルが、約半世紀を経て到達した進化の頂点です。‥‥でもね、「進化の頂点」とは「進化の行き止まり」でもある。金字塔でもあり、栄光の墓標でもある、と私は見ている。」 勝手に続ける。