2ペンスの希望

映画言論活動中です

系譜 もうひとつ

杉浦茂の漫画については何度も書いてきた。
日本の漫画には、手塚治虫白土三平が描いてきたストーリー漫画の系譜だけでなく、もうひとつノンセンス漫画の系譜がある。代表は杉浦茂。物語の展開・ストーリーより、とにかく絵が楽しくてずっと見ていられる漫画の流れ、その丹精、その豊穣四方田犬彦はかねてからそう主張してきた。 “異議なし!”(上記 文章は一部 意訳・改作)
彼の著書『日本の漫画への感謝』【潮出版社 2013年11月 刊】の「偉大なる魔術師 杉浦茂」には、四方田自身が作成した図版が載っている。

杉浦茂が描いてきた目の描写の変遷だ。源流をたどれば戦前のアメリカン・コミックスに行き着く、と四方田は説く。 ディテール 命。 神は細部に宿る。
杉浦茂の時代とは、漫画が倹(つま)しいながらも記号の一つひとつに丁寧に意味を与え、コマの内側に描きこまれた情報を読者が丁寧に、そして丹念に読み解いてゆくという時代だった。作り手と読み手の間に、こうした暗黙の了解が横たわっていたのである。だが手塚治虫が日本漫画でヘゲモニーを確立し、荒々しい劇画が時代の寵児となったとき、その牧歌的な世界は忘れ去られ、ノスタルジアの領域に封印されてしまったという印象をわたしは抱いている。」と嘆く。 (同上の文章から掲載のママ引用)
さらに四方田は続ける。
杉浦茂から赤塚不二夫佐々木マキ、そしてスージー甘金へといたる漫画の系譜を辿っていくとき明らかとなるのは、日本の漫画が大発展の陰で喪失してきたものの大きさである。」う〜ん、ここまでくると、ちょっと路線の違いを感じるが‥。

こんな文章を読むと、日本の映画の系譜も小津だけじゃないよ、
そういわれている気がしてくる。
責任は小津や手塚にあるわけではない。問題はその後の歴史の記述だ。手塚にも
旺盛な遊び心・弾けたギャグ精神があったことはファンなら皆知っている。
小津もまたしかり。
光と影。正典と外典。正史と野史(外史・稗史・秘史)手塚の陰に隠れて見えにくい漫画家たち。クロサワ・OZUの向うに横たわる映画人脈・映画山脈。
それぞれの入念・それぞれの芳醇。
それを掬い上げられるかどうか(救い上げられるかどうか)漫画史家、映画史家の責任重大だ。正史の裏にも水脈は流れている。黙々と、悠々と、滔々と。