2ペンスの希望

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キャメラ???

キャメラが暴力的な装置であることは何度か書いてきた。
一方で、「向こうからやってくるものを丸ごと受け止めるグローブのように使いたい」そう語る石川直樹さんのような写真家もいる。【読んでみようという奇特な方は               ⇒http://d.hatena.ne.jp/kobe-yama/20121031/1351637963
スナイパーではなく、キャッチャー。 ひたすら受け止める。 ひたすら待ち続ける。
見えるものだけを撮るのではなく、見えないものが見えてくるまでジッと目を凝らす。
思考の道具としてのキャメラ。それは、被写体と撮影者をともに映す鏡であり、キャッチボールのための対話装置でもありうる。
映画を撮ってみようと考え、撮られてみようと被写体が身をゆだねる理由や事情は千差万別だ。しかしその根底に、何らかの相互信頼があることは確かだろう。
キャメラを通して「自己」を超えていく。「私」を溶かしていく。
キャメラが安価になり長時間撮影が可能になってきたことの功罪は幾つかあるが、
まぎれなき「功」のひとつとして挙げておきたい。