2ペンスの希望

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ヘゲモニーの移行

フィルムオンリーの時代から、ビデオテープ、DVD・Blu-rayを経て、ネットの時代となった今、映画のあり方は変わった。
以前、「受け手の能動性」というキイワードで考えてみたことがある。(ご興味の向きは、2013年9月13日「常在能動」http://d.hatena.ne.jp/kobe-yama/20130913を参照されたい)
「受け手の能動性」というより、正確には、「送り手の絶対的優位が相対化(低下)した」或は「送り手の演出手法・スタイルが変わった」とでも言うべきだろうが。
一方的に受け取るだけだったものが、操作しコントロールし再加工したり再編集したりする、「ヘゲモニーの移行」が進んでいる。
「(僕は日常的にたくさんのアニメや映画を観る必要があるから)時には1.5倍速、2倍速で、観た上で、何度もリピートすることがある」【石岡良治さん】
(20年ぶりに『バットマンアーカム・ビギンズ』をやって衝撃を受けたんだけど)昔やってたゲームは、「ユーザーが主体的にゲームをする」という感じだったのに対し、この『バットマン』なんかだと、映画のようなシナリオと映像があって、ユーザーはそれをキレイに見せるための手伝いをするという感覚なんだよね。(中略)これはもう完全に映画の代替物だって思ったの。映像も映画並みだし。ゲームをやっているのかやらされているのかよく分からない状況なんだけど、とにかく映画をたのしむような感覚でゲームが楽しめる。」【國分功一郎さん】
管理人はゲームは一切やらない。よって、国分さんの発言の妥当性は分からない。
(2倍速で見ることは、石岡さんだけでなく、管理人も無意識にやっている‥‥作り手に対する冒涜だ、といわれてしまえば困るのだが‥‥)
これだけはハッキリしている。観客は視聴者に変わり、今ユーザーと呼ばれる。
使用者・購入者・利用者・消費者。
百十年を越える歴史の中で、映画は膨大なストックが並列化して広がっている。何時でも呼び出せる、何処からでもアクセス出来る。
集める、貯める(溜める)、所有(私有)することの意味が変わりつつあることも含めて、
映画の来世、来世の映画についてリーチしてみたい。