2ペンスの希望

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秀子のシナリオ論・観客論

「役者はつべこべ言わずに、ただ黙って演(や)ればいい、という主義」だった高峰秀子には珍しく、『忍ばずの女』では、「シナリオ」や「観客」についても率直に語っている。
◎シナリオ論 (「シナリオと私」から)
 「シナリオは、映画作品の土台になる設計図である。優れた設計図を手にしたときの
 スタッフたちの誇らしげな表情、高揚した精神はそのまま現場での作業へとつながっ てゆく。私は女優の仕事はいつまでたっても苦手だったが、クランク・イン第一日目に  見られるスタッフ全員の緊張と自負に満ちた、新鮮な雰囲気は大好きだった。
 シナリオにはジンクスがある。「書きすぎてはいけない。足りないのはもっといけない」

◎観客論 (「『放浪記』後日譚」から)
「観客が映画に何を求めているか?それがわかれば苦労はないけれど、観客は浮気で 利口で勘が鋭く、柳の下にドジョウが二匹いないことも先刻ご承知である。」
いずれにも現場を踏んできた実感がこもる。
今日は、もうひとつオマケ付き。
◎秀子の「名作」撰 (「シナリオと私」から)
「名作とは何か?
 一本の映画は、平均して二百カット前後の小間切れカットの連続によって完成されて いる。その中の、わずか一場面、たったの一カットでも、人々の心に長く残れば、その 映画は名作である、と私は思っている。人の好みは十人十色、どの映画のどのカット が印象に残るかは人それぞれに異なるだろう。
 私の場合でいうなら、例えば、『駅馬車』(ジョン・フォード演出)の、駅馬車とインディ  アンの、疾走しながらの争いの場面。 『アラビアのローレンス』では、砂漠に立つ
 陽炎の中を黒衣の男がユラユラと近づいてくる長い長いカット、『第三の男』では、
 暗い街角に一人佇んでニヤリと笑う、オーソン・ウェルズのあの魅力的な表情。
 『七人の侍』の、土砂降りの中の、クライマックスであるチャンバラ場面、など。これら の画像を見たときの、心が震えるような感動と興奮は、いまでも忘れられない。」

ど真ん中の豪直球!女優業は苦手でも、秀子の映画好きはヒシヒシ伝わってくる。