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クロウトの人格化:『忍ばずの女』

「クロウトの人格化」その達成の一つが、職業=女優:高峰秀子だ。
『忍ばずの女』【中公文庫2012年5月復刻 原本は潮出版社1994年10月 刊】
唯一書いた役者・演技論本。どこをとっても、含蓄に富む。随意に書き写してみる。
「脚本の中の台詞や行動で、大体の性格はわかっても、脚本に書かれていないかげの部分をしっかりととりこんでおかないと、不安で演技できない。」
「俳優の場合、「アクが強い」「クサい」という言い方は必ずしも悪い意味ではない。ただし、そのアクやクサさが上質のものであるか、単にあくどい大芝居であるか、観客にアピールするか、しないかで、俳優としてのランクがおのずから決まる。
器用、小器用、芸達者、洒脱など、演技者への批評の言葉はいろいろだが、その芸によって、ほんの紙一重の違いであっちへいったりこっちへきたりと、評価が微妙に変わるところが面白く、興味深い。
その違いはどこからくるのだろう?これも私流にいえば、その俳優が持つ「品性」というかくし味の有無にあるのではないか、と思っている。」
「よく映画批評家に「熱演」などと書かれてウハウハ喜ぶ俳優がいるけれど、熱演に見えるのは、つまり画面からハミ出している、ということで、一言でいえば出しゃばりすぎ、「オマエ、シロートだねぇ」と言われているのと同じこと。俳優にとっては「恥」だと私は思っている。同じように、「張り切る」「頑張る」という、なんとなく下品な言葉も私は大嫌いである。」
「私は自分の出ていないカットでも必ずカメラのうしろから相手の演技を見る。相手の演技によって受ける側のリアクションを考えておく必要があるからだ。」
「女優の仕事は「明日会社へ行ってから」ではすまない。役づくりも台詞を暗記するのも自宅での作業である。学校の宿題のようなもので、怠けるのは当人の勝手だが、学校へ行って困るのは当人である。」

老け役や死に顔を演じる為に「整形外科医の診療室に駆け込んだり」
盲人の役をやる為に「町を歩いている盲人の歩き方を観察」して、「先天的な盲人は姿勢がよく、全身が耳になっている」ことを発見したり、「頼りになるのは杖ではなく、自分の腰である」と見抜いたり‥‥
巻末で斎藤明美さんは「高峰秀子は、己の職業、女優業を生涯好きになれなかった人である。だが、その職業に対して極めて厳しい、真摯な態度で臨んだ人だった」と書いている。 何ごとにも覚悟と責任を持つ人の言葉は強く響き、示唆に富み古びない。

以前 『俳優の演技訓練―映画監督は現場で何を教えるか』という本を読んで、その場当たり的なやっつけ仕事ぶりに唖然としたことがあるが、あなたがもし役者志望なら、
この高峰本は特にお薦めだ。 ネットでアマゾンを叩けば、¥1.+送料 で入手できる。