2ペンスの希望

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「とんちんかん」と「ないものねだり」

秀子シリーズ(って、管理人が勝手に言ってるだけだが‥)最後は、映画批評論。
《私は五歳の時に子役として映画界に入った。入った、というより、気がついたらそこに居たというほうが当たっている。
映画界はたくさんのことを私に教えてくれたが、その中で「どんな時でも、自分を第三者の目で、つき放して見ること」、これが長い私の映画生活から得た第一の教訓であり、俳優という仕事を持つ私にとって思わぬ助けともなったわけである。
私の中にある第三者は、私の批評家でもある。第三者は少なくとも私より高いところにいなくてはならないし、ずばぬけた思考力を持つことはできなくても、「とんちんかん」と、「ないものねだり」をするものではない、と私は思っている。
映画職人、と自分を割りきっている私は、いつの場合でも「すこしでもマシに」という職人根性だけは持ち続けてきた。どうつっこまれても、答えられるだけの自分なりの覚悟は持っていたつもりである。
映画は、作るほうに熱意があれば、見る側も一所懸命にみてくれる、というわけには
いかない。
「下手だ」と一言でもかまわない。「ミスキャスト」という一言でもかまわない。 けれど、とんちんかんだけは困る。受けとりようがないからである。いいのか悪いのか、いったい何を言おうとしているのか、ひどく不安定な態度で、半分観客のほうを向きながら、演出も演技もまったくうわの空で見ているのではないか? と思える批評もあった。 そして、ドキリとさせられる発言は、いつも映画批評家以外の人々だったのも悲しかった。
浪花節には批評家がいない。だからみんながテングになるのだ」と誰かが言ったけれど、私はテングになんかなりたくはない。これも「業」といえるのかもしれないけれど、
「いい演技をしたい」という願いは子供のころと今も少しも変わっていない。バカと言われようとマヌケと言われようと、正直に批判してもらって、たまには痛いゲンコツも喰らって、明日の映画のために努力してゆきたいのである。》
(『映画批評への疑問』 朝日新聞文化欄 昭和三十七年連載から抜粋)
当時、朝日の学芸部員だった森本哲郎に勧められて書いたそうだ。 あとで
開きなおったというか、噛みついたというか、ふてくされたというか、どちらにしてもおよそ可愛気のない文章である。どうせ女優風情が書いた、あたりさわりのない身辺雑記だろう、と読み出した読者はオヤオヤと鼻白んだことだろう
とも書いているが、いやいやどうして なかなか見事な啖呵だ。