2ペンスの希望

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どこかで誰かが泣いている

キツイ時代になってしまったもんだ。
ものがあふれ、選択肢は拡がった。指先一つで「リーズナブルなもの」が選び放題。
中には粗悪なパッチもんも混じるが、安くてそこそこに良い品物が格段に増えたのも又事実だ。日本全国至るところに百均やユニクロがある。
今の世の中っていうのは、売れるものしか作っちゃダメなんですね。だから、安くていいものじゃないといけないんですよ。ということは、どこかで誰かが泣いているってことなんです。
私がOLやってた頃、社長に安いものを見せると「誰が泣いているのかなあ」なんてよく言ってました。絶対に誰かが泣いてるんですよね。安くて品質が良くてみんなが買うものを作らなければならない。昔みたいにのんきに作ればいいっていう時代じゃないんですね。
」(木皿泉誌上講義「物語は誰のものか」:雑誌「シナリオ」2014年8月号所載)
シナリオライター木皿泉さんの言葉だ。成る程なと思った。
どこかで誰かが泣いている」。泣いているのは、アジアの人民か、我が国のベテラン職人か、出入りの納入業者か、‥それとも、フリー(非正規雇用=半失業)のライター?
      * * *
木皿泉さんの戦略戦術には感心してきた。神戸在住・夫婦二人三脚ユニット。 時代や状況を嘆くのでも愚痴るのでもなく、受け入れながらの反攻・反撃、その処方箋を曲がりなりにも提示・実践し、トライ&エラー(ヒット&ラン?!)の場を確保している。
登場人物のことごとくが血も涙も流れないぺらぺらの紙人形にしか見えないシナリオが多い中、木皿ドラマには、生きて呼吸する人間が登場する。若い人を中心に支持があるのもうなづける。記号や役割ではない人間が生きているからだ。
それにしても、昨日の鈴木敏夫プロデューサーはアニメ界、今日の木皿泉さんはテレビドラマが主戦場、映画界のPとW 人材はどこに埋もれているのだろう?
水を遣りすぎて、芽を出さないのか、腐っているのか、‥それともそもそも種が蒔かれていないのか‥不安・不満・不憫。