2ペンスの希望

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興行師

興行師と聞いて今一番に名前があがるのは、ジブリ鈴木敏夫プロデューサーだ。
ジブリファンでなくとも、宮崎・高畑の陰にこの人ありとよく知られた人物だ。大昔東京で仕事をしていた頃二三度会ったことがある。アニメ雑誌の編集者からジブリに移籍して数年『紅の豚』のあとさきだった。当時からシャープな切れ味と達者な眼力は抜群だった。外観は柔和だが、中身は一瞬で人を見切る古武士である。
その鈴木プロデューサーの談話記事が雑誌「文學界」2015年5月号に載っていた。「映画とはタイトルがすべてである」と、いかにもキャッチー。
僕はタイトルとキャッチコピーに一番こだわってきました。
今となっては、「健さんや文太さんが出ていたから映画がヒットした」という錯覚が生じていますが、本当は逆なんです。「網走番外地」や「仁義なき戦い」という企画がヒットしたから、お二人がスターになった。それ以前は、東映の中ではあまり芽のでない役者さんだったんです。もちろん、石井輝男深作欣二といった監督の名前なんて、もっと知られていません。 じゃあ、観客は何を目当てに劇場に詰めかけたのか?
タイトルとキャッチコピーです。 「網走番外地」というタイトルが素晴らしい。
番外地という言葉が、非日常感を強烈に刺激する。第一作のコピーは、「どうせ死ぬなら娑婆で死ぬ」――これで刑務所からの脱獄ものだということが一目でわかる。
ところがある時から、東映映画の宣伝文句は「健さん観なけりゃ、年が越せない」と、健さんの名前の方が前面に出るようになった。これはダメなんです。、だって、その言い方は、健さんの映画を観ているファンにしか通用しないじゃないですか。新しい観客は入ってこられない。
「あの○○の」という冠をつけると、かえって自信が無さそうに見える、堂々と中身で勝負すべきだ。そう考えて「あの○○の」はずっと禁じ手にしてきました。
」 (一部要約)
誰を相手に(して)どんな札を張るか、興行師の肝はここにある。ここにしかない。