2ペンスの希望

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WとPの劣化 興行師の不在

数日前 現像所の試写室で古い友人と顔を合わせた。
粘り強く新作の日本映画をフォローし続けている奇特な一人だ。
日本の映画界は最近ますますバランスを欠いて非道いことになっていると嘆いていた。
技術パートはまだしも、役者の暴走、演出部・製作部の衰弱が目立つ。わけてもWとPの劣化が止まらない。悲惨‥‥と悲憤慷慨は続いた。よく出来たシナリオさえあれば、ダメ監督でもそこそこの映画は出来る。が、逆は不可能。どうしようもないシナリオから得心できる映画は絶対に出来ない。なのにどうしてどうしようもないシナリオでOKを出すのか。シナリオが読めないプロデューサーが多すぎる。‥彼の言葉は止まらない。
シナリオにお金と時間をかけ、プロデューサーの権限の大きいハリウッド方式にもう一度学ぶ必要がある。製作委員会方式が基本形態となってから、日本のプロデューサーは、交通整理係か利益調整役の機能しか果たさなくなってしまった。出資者やスタッフ・キャスト(役者の所属事務所・マネージャー)の顔色を伺うばかりで、マーケット・観客を見据えた「興行師」は居なくなった。これが最大の問題だ、と彼は言う。往時の撮影所で揉まれてきた故か、「興行師」という言葉がするりと出てきて、新鮮だった。市場が縮小している今、自分たちの見える範囲でちまちま算盤を弾くだけで、「興行」という視点が持てていない、という指摘は正しい。
金額の大小にかかわらず、興行師の器というのはプロデューサーの基本条件だろう。