2ペンスの希望

映画言論活動中です

スクリーニング

誘われて日本公開前のドキュメンタリー映画を観てきた。
『Nowhere to Call Home』(2014 60min.)
作ったのは日本と中国をベースにアジア報道に携わってきた米国人女性ジャーナリストJocelyn Fordさん。 案内にはこうあった。
この作品は、在北京のフォードさんが、故郷チベットを離れ北京で生き抜く1人の女性に出会い、数年にわたって制作したドキュメンタリーです。」上映後、彼女のトーク&セッションがあった。 (映画も上出来だったが)、このセッションが面白かった。
ジャーナリストではあったが、映画については経験も知識も乏しい中年女性が、2008年北京オリンピックを当て込んで自腹で購入したHDカメラを、ひょんなことから廻し始め、友人や映像のプロフェッショナルたちに背中を押されながら(セッションでの彼女の言葉では、おだてられ・焚きつけられ・退路を絶たれて‥といったニュアンスだった)、チベット人・中国人・米国人らと何度もスクリーニングを繰り返し、彼らの意見を取り込みながら、数年の編集期間を経て完成したということだった。今の完成形に至るまで推敲を重ね何バージョンも作ったそうだ。
複数の眼に曝しながら作っていくスタイルを彼女はスクリーニングと表現した。
スクリーニングには「ふるいにかける」「条件に合うものを選び出す」という意味があるが、思えば、映画を上映することでもあるのだ。(あまりにも当然のことだが‥)
視野狭窄・唯我独尊を避け、映画に多面体・重層的な厚みと幅をもたらす方法のひとつとして、スクリーニング=信頼の置けるスタッフ間での参考試写の積み重ねは重要だ。
映画は、中国語字幕・英語字幕に、出来立てほやほやの日本語字幕も入っていた。
ご興味の向きは、特設サイト⇒http://tibetaninbeijing.com/
或いは、NHK日本賞2015⇒http://www.nhk.or.jp/jp-prize/2015/prize_winner.html
どちらでもtrailerが見られるが、管理人のお勧めは、NHK日本賞2015コンテンツ部門特別賞国際交流基金理事長賞のほう。
ちなみに、日本での公開はこれからのことだが、邦題募集中という話だ。
この日見た版には、「思わぬ出会い」と仮タイトルされていたが、感心しなかった。
管理人案は、原題そのままに 「家と呼ぶ場所はない」or 「還る家など何処にもない」。
「還る家など何処にもない」は、故郷チベットを捨ててきた女性の述懐であるというより、還る家などそもそも誰にも何処にもないのだ(家は還るところではなく、出て行くところ)という含意でもあるつもりなのだが‥分かりにくく、こなれも悪いかも。ただ、NHKがつけた「我が家は何処(いずこ)」は却下したいと思うのだが、フォード監督どうだろうか?