2ペンスの希望

映画言論活動中です

古文書みたいな‥

ドキュメントするとは、制作者や作家が、自分をそのまま素材にすることなのだ。自分の恥部をさらけ出したままで相手にぶつかり、自分の毒で相手にせまり、自分の毒をふりまくことで相手(たとえばあなた)の武装を切り裂き、あなたの汚れ、あなたのずるさ、あなたのみにくさをさらけ出させることなのだ。そして、そのたたかいをブラウン管に投影させることで、視聴者のあいまいさに満ちた平穏な日常ムードを切り裂こうとねらっているのである
いかにも大時代的 古文書みたいで恥ずかしくなりそうな文章だが、書かれたのは1969年、書いたのは田原総一朗。当時35歳東京12チャンネル(現テレビ東京)ディレクター時代の著書『青春 この狂気するもの』【三一新書】の一節だ。
何故、こんなものを引っ張り出すのかって‥。今読んでる若いライターさんの本に突然出てきたからだ。田原総一朗なんて、この何十年も立ち回りの達者なTV人以上のイメージはない。そういえば昔々は、岩波映画製作所にいたり、ATGで映画を監督したりしていたなと思い出した。その頃から、目ざとくて鼻が利く人物だったが、映画は水が合わなかったのか肌合いが違ったのか、早々に転戦していった。
ただ、「制作者の素(ス)で被写体の素(ス)に迫るバトルこそがドキュメントである」という発言に間違いはない。映り撮られるのは両者の関係性、二人の間にある空気なのだ。