2ペンスの希望

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破れかぶれの離れ業

昨日の相米本(『甦る相米慎二』)に、こんなくだりがある。
「(相米組は)撮影所の技術スタッフでもそれまでの主流ではない方、持っていた才能を100パーセント生かしておられたわけではないような方を積極的に起用して、そのポテンシャルを全開させる、そういう使い方をしておられる‥‥」 どなたの言葉か、いかにも学者先生らしく持って回った言い回しが気に食わないが、「撮影所の残っている力を引き出すというか。それはスタジオは壊れてしまったけどスタッフの力はまだ残っている端境期だったから可能だったのか、もうちょっと普遍化して受け継いでいけるものなのか」と畳みかけている。確かに!今振り返れば1980年代の日本映画は、右肩下がりの不自由さの中で、つかのま誕生した解放区=無法地帯だったと云えなくもない。はみ出し者たちの鬱屈と抑圧が生み出した「破れかぶれの離れ業」。図らずも可能になった≪挑戦的・実験的実践≫。けど端境期はそう長くは続かない。以降の三十年は液状化が果てしなく進んだだけだ。もうそろそろここらで新しい構築期に向かってもよさそうだが‥何?希望的観測に過ぎるって。 (晦渋は非力 生煮えのもがき故‥、ご容赦願う)