2ペンスの希望

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習い性

人は生まれた時代と社会、育った環境と条件の中で生きていくしかない。
五十年近く映画にかかわって過ごし色んな仕事をやってきたが、業界に入って最初にどっぷりひたった世界の習い性が、良くも悪くも身に付いて今に至る。二十代三十代で身に付けたフットワークが今も抜けない。他人(ひとさま)の話ではない。自分のことだ。
建設記録映画、短編文化映画、人材採用映画、数十万の仕事から一億近くの実行予算まで、何百本もやってきたのに、どこか似ている。あまり変わらない気がしてくる。
たち(漢字なら、性or質)、性分、分(ぶん)、分限、分際、身の丈、身の程、体質、スタイル、好み、嗜好、志向、頑ななまでのストライクゾーンの狭隘、世界観も美意識も‥思うほどには広がらない。釈迦の掌でのたくる孫悟空‥‥
還暦をとうに過ぎたのに、映画がますますわからなくなりながら、どんどん面白くなる。
とどまって極めるべく精進するしかないのか、殻を破らんとして七転八倒に進むのか‥、
それもまた、性分のなせる業(わざ)か? 
聴こえなくなってきた耳を澄まし、見えにくくなる目を凝らして、行けるところまで行く。1995年1月震災 1999年7月発症 2001年9月転換 2011年3月自死‥‥ドラマチック・メモリーズが降り積もる。