今日は、最近つらつら思っていることを書き留める。
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何やかや言っても、とどのつまり、 絵画は、「線と色」
その伝で行けば、 映画は「枠と動き」(フレームとムービー・アクション)。
当たり前だが、 その素(もと)になるシナリオは、言葉(文字)で書かれている。
言葉は窮屈だ。一つの言葉を選べば、他は捨てられる。何かが抜け落ち、痩せる。
その捨てられた部分が拾われると、映画はゆたかにふくよかになる。
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「一方では、言葉の二分化の恐怖と覚悟を教えられ、また一方では諧調を本質とする色の世界に、及び届かぬ言葉の世界が陥りやすい狭さを教えられる。」©︎ 徳永進『どちらであっても 臨床は反対言葉の群生地』【岩波書店 2016年2月】
「「はい」といったらウソになってしまう
「いいえ」といってもほんとうではない
「はい」と「いいえ」のあいだに
100万の 虹の 答えがある
それが「こころ」っていうもんさ
「はい」と「いいえ」の双子の心 」©︎ 工藤直子「双子の心」『じぶんのための子守歌』 【PHP研究所 2013年9月】
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「わからん人放っときますよ。いちいち説明しませんよ。義務教育やないんやからね」
©︎ テント
「言っておきますけど、僕の話、バラバラですよ。分解して家に持って帰って、組み立てて考えてください。時々部品足らん事がありますけど」 ©︎ テント