本屋と図書館は、当然のことだが全く違う。本屋は本を売る小売業、お商売の世界、図書館は多く公立・公設・公営が多い。学校などに付帯附属併設される、別世界だ。自ずと役割分担がある。岩手日報の連載記事「いわての風」で伊藤清彦さんは何度も書いている。
一言で言えば、書店(とりわけ新刊書店)は、フロー機能で、図書館はストック機能が最重要だということだ。「今の書店業界が陥っている粗製濫造・大量返品・廃棄の流れの中から後世に残したい出版物を拾い上げてゆく仕事こそがこれからの図書館の大きな役目であり、より専門性が問われてくるようにおもうのである。」(2014/05/04掲載記事から)
店舗面積に限りがある本屋では、いつまでも「何でもおける」わけではない。「書店で一番大事なのは入れる作業じゃなくて、やっぱり削る作業なんです。」公的バックグランドを持つ図書館は、「すべての本には読者がいる」ことを忘れずに、「あり続けること・置いてあることの意味と価値」を肝に銘じて欲しいと強調する。図書館は、コレクト&ストック&アクセスの重要性・かけがえのなさに自覚的であるべしと主張する。
発行部数の激減が止まらない純文学系の月間文芸誌や昔の雑誌類を短期間で早期に除籍・廃棄処分する風潮に警鐘を鳴らす。税金で賄うのだからと誰からも文句の出ないよう保守的になりがちだが、時代が変わったことをふまえた革新に乗り出して欲しいと語る。
とりわけ、「貸出回数を除籍の基準にする愚」は改めるべきだと伊藤さんは言い続けてきた。「そうしている限り世に少ない本が除籍・廃棄され、世に沢山出回っている本を沢山保存していることになる。」
フローとストックの役割分担、映画の世界のこれからにも役立ちそうなヒントが詰まっているように思うのだが‥‥封切り公開主体の映画館と旧作専門映画館、「NFAJ:国立映画アーカイブ」や「記録映画保存センター」などの充実、配信サブスクリプションビジネスの任務分担、相互補完、ライブラリーラインナップの強化とアクセス権の確保‥‥、どなたか本気で検討されてみては如何。