Newsweek 日本版 2020.11.06. 「映画は補助線を提供してくれる」
大切なのは知ること。知って自分で考えること。そして映画は一人一人の思考や煩悶に、とても重要な補助線を提供してくれる。
Newsweek 日本版 2020.11.12. 「普通な日常は、時として酷薄」
人の普通な日常は、時としてとても酷薄だ。時には誰かを激しく傷つける。それが世界。それが日常。なるほど。深い。
Newsweek 日本版 2020.11.20. 「相反要素がきしみながら‥」
人はあくどいと同時に切ない。冷酷なのに優しい。相反する要素がきしみながら絡み合って物語を紡ぐ。
Newsweek 日本版 2020.09.18. 「定型を壊す」
定型を壊す。固定化した思い込みを覆す。それも映画の重要な役割だ。
Newsweek 日本版 2021.02.26. 「不器用な職人は功罪半ば」
欠点だらけだが嫌いになれない友人がいる。あるいは欠点は目につかないのに魅力を感じることができない人もいる。映画もそういうものかもしれないと時おり思う。いや映画だけではなく、そもそも表現とはそういうものなのだろう。
過剰な説明はしない。平気で観客を置き去りにする。
要するに不器用な職人、いや器用なのか。よく分からない。
Newsweek 日本版 2021.10.26. 「これは現実ではない。映画だ」
徹底して禁欲的な手法は理解する。でも見ながら不満がたまってゆく。その理由は分かっている。画が足りないのだ。映画は欠落を想像する媒体でもあるけれど、その欠落が露骨過ぎて想起させてくれない。
監督の意図は分かる。映画的作法を拒否したいのだろう。その思いは僕にもある。定型的なモンタージュに作品を埋没させたくない。ご都合主義のストーリーにはしたくない。謎や伏線が全て回収されることなど現実にはあり得ない。人の営みに矛盾や嘘はあって当然だ。
でもこれは現実ではない。映画だ。伏線は回収するべきだ。矛盾を放置すべきではない。
脚本が未完成だ。一人で書く限界が表れている。
ラストの6分を超すワンショットは圧巻、と誰かが書いたレビューを見掛けた。違うよ。ただ6分カットせずに撮っているだけだ。
どれも個別の映画にまつわる森達也の評価コメントだが、さて、どの映画のことだか わかるかな?