2ペンスの希望

映画言論活動中です

メタ:META

最近「メタ:meta」という言葉をよく耳にする。

メタフィクション」や「メタ発言」「メタ認知」「メタメッセージ」‥‥

Facebook社は Meta に社名変更したし‥「メタバーズ」とやらも話題だ。

そもそもは古代ギリシャ語だそうだ。

「あとに(立つ)」から転じて「超越した」「高次の」「変化した」などを示す接頭辞だと最近知った。「あるものを外部や上位から俯瞰・観察する立場や視点」を意味する言葉だ。

つまり「メタフィクション」とは、「そもそもが作り物である映画や漫画や小説・アニメなどを、外部や上位から俯瞰・観察して〈これは作り物である〉と敢えて明かす手法」。映画の登場人物が突然観客に向かって直に話しかけたり、その作品について解説・言及し始めたり、種明かしを試みたり、‥‥スタイル・やり口はいろいろある。昔からある歌舞伎の屋台崩しなどもメタ化のひとつだともいえそうだ。

さて、最近はトンと聞かなくなったが、昭和の御代には「メタフィジカルmetaphysical」なんて言葉があった。

日本語訳は「形而上の。形而上学的。」=「形のないもの、形を超えたもの。精神的なもの。」を表す哲学用語だ。反対に「フィジカル:physical」は「形而下」=「形があるもの。物質的なもの。肉体的 身体面」

従って「メタフィジカルmetaphysical」は「 物質的なもの」を上位・高次に超越した「得も言われぬ(!?)」精神性の体験・体感 ということになる。

つまりは、「メタ:meta」とは、「有形のもののなかに、高次・上位な無形の価値を見いだそうとする営為」なのだろう。

ただ、これだけは忘れないでおきたいものだ。架空・仮想の根拠なき絵空事ではなく、あくまでベースにあるのは身体性だ。身体を抜け出して精神性は無い。

 

今 時代は成熟し行き詰って、「メタの世紀」に入ったのかもしれない。そんな感想が浮かぶ。待ち受けるのはユートピア(οὐ-τόπος :古代ギリシア語「どこにもない場所」)か、ディストピアδυσ-τόπος:古代ギリシア語「悪い場所」か。(今回は飛躍した分かりにくい結末で蒙御免)