2ペンスの希望

映画言論活動中です

②地方在住表現者 増加 期待

地方にいて表現を続ける人士は古くからいる。いちばん多いのは画家だろうか。漫画家も多い。送信技術の進化で原稿をデータでやりとりする時代に入ってさらに増えた。ヤマザキマリはイタリア在住だし、マンガも小説も書く山上たつひこは数年前 カリブ海 ドミニカ共和国に移住したようだ。物書きの有名どこでは、伊坂幸太郎が仙台、東山彰良が福岡県小郡市湊かなえは淡路島、二人組の木皿泉も神戸市在住だ。

これまでも何度か書いてきたが、映画作りはその昔には撮影所のあった東京や関西(大阪小阪・京都太秦・宝塚)などに限定されてきた。技師・技術者の集積もあった。それが霧散し機材や技術が軽便変化しても、メディア大手が東京に集中し続けてきたことで、地方での映画作りはスタッフキャストともに手薄だった。若い頃、「関西には歌舞伎とお笑いの役者しかいないので、まともな現代劇に取り組もうとすれば、キャストに不自由する」と嘆く声があった。東高西低。いつまで続くのか。

「日暮れて途遠し」ではあろうが‥。東京より地方在住の映画作りに期待したい。周囲の雑音や寄り道が少ない分、真っすぐ前を向けるのではなかろうか。SNSなどを活用して孤独・孤立を乗り越えた連携・共同性を産み出して貰いたい。

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『本屋と図書館の間にあるもの』を触媒に ①地元の版元

最寄りの公立図書館で見つけたので借り出して読んでいる。

伊藤清彦×内野安彦『本屋と図書館の間にあるもの』【2021.17. 郵研社 刊】

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ともに地方で書店経営や図書館運営にかかわってきた二人の対談から生まれたこの本、話題は雑多だが、本屋と図書館の現状が透けて見えてきて、興味深い。複雑で構造的問題を抱える業界事情(本屋業界、出版業界、図書館業界、地方公務員業界、‥‥)が垣間見える。ということで、この本をテキスト・触媒に、今の映画についてしばし考えてみたい。ただし、例によって無責任な与太話以上ではない。伊藤清彦さんや内野安彦さんのことについては説明しない。勝手にググってみて)

最初のキイワードは、〝地元の本を大切にする〟

地域に根ざす、地元を大切にする。

 寿郎社、無名舎出版、荒蝦夷、港の人、サンライズ出版桂書房、さかだちブックス、虹霓社、ライツ社、ミシマ社、光村推古書院、臨川書店、ナカニシヤ出版、奢覇都館赤々舎、140B、編集工房ノア今井書店、書肆侃々房、弦書房南方新社ボーダーインク、‥‥いずれも一度は管理人が手にしたり読んだことのある地方出版社だ。きっときっともっともっと無数にある。中には姿を消したところも。出生地を離れ東京進出を果たしたところもあれば、じとっと地元に根を張り続けるところも。大手有名出版社とは無縁に、東京で奮闘する版元も沢山ある岩田書院、夏葉社、ナナロク社、フリースタイル、アルテスパブリッシング、左右社、書肆アルス、小さい書房などなど)。

もとより、小さな出版社をやりながら面白い本を出していくのは、昔も今も容易ではない。地方では東京以上にキツかろう。ソトズラはスイスイと優雅に泳いでいるようにみえるが、水面下では必死に足で水を掻き続ける水鳥のように漕がねば止まる自転車操業が必至だと推察する。けど、デジタル技術による通信・流通がこれだけ様変わりしている今、東京にこだわる必要はない。事情が許し条件が整えれば、今いる所で始めればよい。それが可能な時代が始まっている。最近はリトルプレスなんて洒落た呼び名を頂戴して、若い人たちが立ち上げる例が増えているとも聞く。頼もしい限りだ。

これから映画を作ろうとしている諸君も、地方出版の歴史とその蓄積に学べばよい。(もちろんどうぞ東京中央の大手広告代理店や地元JCなんぞの音頭取りとはできるだけ無縁に)そういえば、「東京へゆくな ふるさとを創れ」とアジってたのは雁さんだったっけ。(何?「アジる」が分からんて?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背反有理 2021 東海林 特別編

東海林さだおは、背反有理の宝庫である。ということで、今日は東海林さだおさんをフューチャーしての特別編。

テキストは、『ざんねんな食べ物事典』【2019年5月10日 文藝春秋 刊】月刊誌「オール讀物」連載「男の分別学」などに増補。

一部に???も混じるかもしれないが、「こらえてやってつかーさい」。

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 のっけからこうだ。

 日本人はラーメンに煩(うるさ)い。

煩くない人がいないというぐらい煩い

〈ラーメン行動学 ロボットはカップラーメンを作れるか?〉

 

痒いところに手が届く、という言い方があるが、痒いところは手が届く範囲内にのみ発生するわけではない。むしろ、届かない場所が痒くなる場合のほうが多い。

〈「痒い!」の研究〉

 

残念な人の残念を聞かされるのは聞いていて心地よい。美談を聞かされるよりよっぽど楽しい。謝罪会見が殷賑を極める所以である。

 〈残念な人たち〉  こんなのもある → 残念な人たちの(こうした)残念な行動は、見ている人たちにも残念でならない。やっていることの全てが欺瞞だからだ。人間の誠意というものがどこにみ感じられない。

 森友国会での佐川答弁では、

人間は澄んだ瞳で嘘をつくことができる

〈へびは長すぎる?〉と 一刀両断。

 

おでん屋で注文せず大根鑑賞を続ける老人には、

認知ほうが衰えてくると価値観が変わり、その価値観が安楽のほうに向かうわけだからこんな結構なことはないと言える。

〈老人とおでん〉 と 優しい。

 

『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』の著者 村瀬秀信との対談では、

チェーン店は落とし穴ですね。なかなか避けて通れない

〈対談 奥が深い! 我らの〝チェーン店〟道〉

 

 おかずが主食でゴハンが副食、事実みんなそういう食生活になっている。

〈面白いぞ、業界新聞〉

 

普通においしい。時々この「普通においしい」という表現を「何も言ってないに等しい」と非難する人がいるが、すばらしい表現だと思う。「普通」と言ってるのではなく、その下に「おいしい」が続く。即席麵の必要十分条件を見事に表現しているではないか。

〈僕とインスタントラーメンの六〇年〉

 

いやぁ~ごちそうさまでした。満足満腹。

背反有理 2021 水無月 その二

‥‥昨日の続き、「背反有理」反語に宿る真理。

まさかさかさま(⇔)

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変わらず、変わる

(樺山聡『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』「新たな芽/修」の小見出しのフレーズ)

  

男だって虹みたいに裂けたいのさ

所有しないことで全部を所有しようとする

おれは世界の何に似ればよいのか

谷川雁詩集 1.伝達 「破船」 第四連 より)

 

前向きな虚無

 

いて、いない。    

つげ義春 いて、いない展」 2020.01.30~03.15 Musée Angoulême

être sans exister  Festival International de la Bande Dessinée

(第47回アングレーム国際漫画祭 特別栄誉賞受賞記念 展覧会)

 

万人の私有  詩は万人の私有 

田村隆一「西武園所感―ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った」(1962『言葉のない世界』所収)

 

積極的に黙っていたい    

「今はむしろ、しゃべるよりも聞いていたい。積極的に黙っていたい、そんな失語のモードだ。」

新型コロナウイルスをめぐる奥野克巳×吉村萬壱×伊藤亜紗三氏のリレーエッセイ『ひびわれた日常』(2020 亜紀書房)の伊藤亜紗の言葉より)

 

視野を持たないがゆえに視野が広がる

(見える人には(「視点」があるゆえ)必ず「死角」がある

見えない人には)視覚がないから死角がない

見える人も盲目だ 

伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015 光文社新書

 

「自立とは依存先を増やすことである」

 (熊谷晋一郎 脳性麻痺電動車椅子生活の小児科医のことば)

 

「人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である」 

河合隼雄『こころの処方箋』(1992 新潮社)

   *「嘘は常備薬 真実は劇薬」というのも。

 

(今の世の中は) 結論ありきの議論が自由に行われている

(武田砂鉄『わかりやすさの罪』(2020 朝日新聞出版)

 

「天使の羽をつけた悪魔にみえる」

タイ映画『Happy Old Year』(2019 ナワポン・タムロンラタナリット Nawapol Thamrongrattanarit 監督 のワンシーン。片付けコンサルタント: 断捨離で一躍有名になった「こんまり」(近藤麻理恵:米カリフォルニア在住の片づけコンサルタント:メソッド「ときめくかどうか」)のDVDを観ながら主人公のお兄ちゃんが ボソッと吐いたセリフ)

 

 

背反有理 2021 水無月 その一

四ケ月ほど空いたが、「背反有理」コレクション 最近の仕入れ品。(一部 オリジナル)

 

うしろへすすめ‥‥

つげ義春の貸本漫画『白面夜叉』【1955.09. 若木書房】)

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どうにでもなる言葉

どうにもならない言葉

 

騒がしい静寂   

上島春彦の『鈴木清順論 影なき声 声なき影』(2020.9.25作品社 刊 『夢殿サイクル論Ⅱ』 サブタイトル)

 

平明こそ難解

なんでもないのにとんでもない

凡非凡

 

遠近両用

 

穴 あるのにない。

小川洋子 『そこに工場があるかぎり』 細穴の奥は深い株式会社エストロラボ〈屋号 細穴屋〉を訪ねて 2021年1月31日 集英社 刊)

 

心のこもった無関心

 

破壊の創造者  

(惣領冬美の漫画『チェーザレ』副題)【2006.10.23~ 講談社モーニング連載】

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四十番館 映画巡回員

岡田秀則さんが或るフリーペーパーで書いていた。映画はその昔、一本のフィルムを封切りロードショーから順に使いまわしして上映してきた。そのことを書いた部分。「都会の封切館で上映された後は、二番館、三番館へ流れ、最後は、ときに四十番館を超えることもあったという。後のなればなるほど待たされるし、フィルム自体も傷むけれど、その分入場料は安い。」‥「四十番館」まであったというのは初めて知った。無数に傷が入って雨降りのようなフィルムを思い出す。

もうひとつ。国鉄時代の話。

1958年の「旅客及び荷物運送規則」によれば、巡回映画員が携行する映写機とフィルムは、巡回医療のレントゲン機や競輪選手の自転車と並んで、大きくても別料金を払えば列車にのせてよかった。」とあった。【「旅客及び荷物運送規則」第9章 手回り品 第309条 有料手回り品及び手回り品料金 】

巡回映画員、町から町へ、海辺の浜から農村へ、小学校の校庭から公民館の講堂へ、フィルムを携えて全国を行脚した巡回映画は当たり前の風景だった。今は昔、夢まぼろし

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附録:

当時のフィルムは可燃性のセルロイド製だった。よって 上記国鉄1958年「旅客及び荷物運送規則」の附則 別表第2号にはご丁寧な記述がある

(3) 実重量が300グラムをこえる映画用フイルムで、次により荷造したもの。

イ フアイバー等の不燃性気絶縁物質性容器に収納し、振動衝撃等によりふたが開くことのないように荷造したもの。
ロ フイルム容器に入れ、且つ、帆布製の袋(JES繊維3,101の上綿布8号若しくは並綿8号又はこれらと同等以上の厚さ及び強度を有する帆布を使用したもので、二重底とし、上ぶた布又は中ぶた布をつけたもので、且つ、金属製品を使用しないものに限る。)に入れたもの。
ハ フイルム容器に入れ、且つ、直径約9ミリメートルのわらなわ又はこれと同等以上の強度を有する綱等で中ゆわきをし、次の規格による用紙で包装したうえ、中ゆわきと同等以上の強度を有する綱3本を十文字にかけ、2箇所の胴じめをし、手さげをつけたもの。但し、自動車線区間を除く。
(イ) 強度
クラフト紙70斤以上のものを2枚貼り合せ、且つ、しわよせしたもので、縦、横いずれの方向に対しても6kg/cmの抗張力を有するもの。
(ロ) 防火性
マツチ1本で点火した場合、着火しない程度の防火剤を塗布したもの。
(ハ) 包装用紙の証明
包装用紙の表に、製作者が(イ)及び(ロ)に規定する規格に基いて製作したものであることを表示する「映画用フイルム包装用紙国鉄規格品」の字句及び製作者名が印刷してあるもの。 
この包装用紙が不適格であつたため、運送中自他に損害を及ぼす事故が発生したときは、その荷送人がすべての責任を負うものとする。
微に入り細にわたる懇切丁寧 具体的な記述文言は、映画のための便宜であり、同時に、国鉄の責任逃れでもあったのだろう。時代は変わった!時代は変わらない?