東海林さだおは、背反有理の宝庫である。ということで、今日は東海林さだおさんをフューチャーしての特別編。
テキストは、『ざんねんな食べ物事典』【2019年5月10日 文藝春秋 刊】月刊誌「オール讀物」連載「男の分別学」などに増補。
一部に???も混じるかもしれないが、「こらえてやってつかーさい」。
のっけからこうだ。
日本人はラーメンに煩(うるさ)い。
煩くない人がいないというぐらい煩い。
〈ラーメン行動学 ロボットはカップラーメンを作れるか?〉
痒いところに手が届く、という言い方があるが、痒いところは手が届く範囲内にのみ発生するわけではない。むしろ、届かない場所が痒くなる場合のほうが多い。
〈「痒い!」の研究〉
残念な人の残念を聞かされるのは聞いていて心地よい。美談を聞かされるよりよっぽど楽しい。謝罪会見が殷賑を極める所以である。
〈残念な人たち〉 こんなのもある → 残念な人たちの(こうした)残念な行動は、見ている人たちにも残念でならない。やっていることの全てが欺瞞だからだ。人間の誠意というものがどこにみ感じられない。
森友国会での佐川答弁では、
「人間は澄んだ瞳で嘘をつくことができる」
〈へびは長すぎる?〉と 一刀両断。
おでん屋で注文せず大根鑑賞を続ける老人には、
認知ほうが衰えてくると価値観が変わり、その価値観が安楽のほうに向かうわけだからこんな結構なことはないと言える。
〈老人とおでん〉 と 優しい。
『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』の著者 村瀬秀信との対談では、
チェーン店は落とし穴ですね。なかなか避けて通れない。
〈対談 奥が深い! 我らの〝チェーン店〟道〉
おかずが主食でゴハンが副食、事実みんなそういう食生活になっている。
〈面白いぞ、業界新聞〉
普通においしい。時々この「普通においしい」という表現を「何も言ってないに等しい」と非難する人がいるが、すばらしい表現だと思う。「普通」と言ってるのではなく、その下に「おいしい」が続く。即席麵の必要十分条件を見事に表現しているではないか。
〈僕とインスタントラーメンの六〇年〉
いやぁ~ごちそうさまでした。満足満腹。