2ペンスの希望

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『日本人の知らない日本語』シリーズ ピンク映画 篇

日本人の知らない日本語』シリーズにはこんな記述もあった。

お国によって劣情刺激=わいせつエッチ=成人映画の呼び方は様々。

日本では、そう、「ピンク 映画」桃色

アメリカでは、アダルト映画は「Blue film(ブルー フィルム)」青色

中国では、「黄色電影」黄色

スペインでは、「Cine Verde(シネ ヴェルデ)」緑色

イタリアでは、「film rosso(フィルム ロッソ)」赤色

 

ちなみに、「フランスでは白色がセクシーさの象徴とされ、娼婦は白のハイヒール、スカート、バッグを身に着ける」とか、「いや白=セクシーというだけで、アダルト・ポルノを意味する色は rose だ」とか「万国共通の意味深 エッチカラーは紫」などと かまびすしい。←コレラの小文字表記はネット記事の受け売り。よって真偽のほどは保証し兼ねる。

『日本人の知らない日本語』シリーズ 任侠マダム 篇

今日は、蛇蔵&海野凪子の『日本人の知らない日本語』シリーズ本メディアファクトリー/KADOKAWA 2009~2013】から。

日本語学校の先生と外国人学生がくりひろげる日本語をめぐるドタバタ。知らないアレコレが見えてきて面白かった。

中から映画にまつわるシーンを抜き刷り

久住昌之 讃 続(デビュー短編漫画「夜行」)

孤独のグルメ』で久住昌之さんに触れたのがきっかけで、40年ぶりにデビュー作『夜行』のことを思い出した。(雑誌「ガロ」1981年1月号入選作として初掲載。当時タッグを組んでいた泉晴紀との連名ペンネーム「泉昌之」となっている)2年後には初短編集単行本『かっこいいスキヤキ』【1983.5.5. 青林堂 刊】が出た。今は閉店した京都の三月書房でいそいそと買ったことまで憶えている。(昨日の晩飯は忘れてるのにホントに大昔のことはよく憶えているもんだ)

文庫版、新装版と版を重ね今も人気は衰えていないようで慶賀の至り。全16ページがネットで読める。いつまで公開されるのかは知らないが、挙げて置く。nikkan-spa.jp

書棚の古雑誌は安ザラ紙で黄ばみ褪色が進むが、ネットデジタル画像はクッキリはっきり鮮やかなもんだ。コレも時代ダ ネ。慶賀の行ったり来たり(ってか)

久住昌之 讃(店主 客)

孤独のグルメ』は反(アンチ)グルメ漫画だ。全 32話。何でもない地べたの料理の話が並ぶなか、2話だけ料理より店主と客の話がある。店主のふるまいにキレて喧嘩になる第12話(カウンターの中 客の前で ことあるごとに外国人従業員=留学生?を怒鳴りつける)

と客の態度を見かねて注意する第2部4話(サラリーマンらしき三人連れ。下戸の部下に何度も酒を強要する上司をいさめる)

まるで痛快活劇漫画だ。溜飲が下がって気持ちいい。

人気があったようで、世界各国で翻訳版が発売され、テレビ東京や台湾ではドラマ化された。

さらに達者なグルメブロガー=「己(おれ)」さんのブログに拠ると「雑誌掲載版から単行本化する段階で、ネームが細かく幾度も修正されている」ということだ。

www.masaemon.jp

上述の「横暴な店主に主人公がアームロックをかけるシーン」も言及されている。お薦め!part2 もある。

www.masaemon.jp

漫画を描いた谷口ジローさんは他界した。原作者の久住昌之さんは健在だ。

ブロガー:「己(おれ)」さんは、「幾多の修正を経て原作者の本領とやらがいかんなく発揮された感じ」と久住さんの篤実丁寧な仕事ぶりを讃えている。

食の世界、店主がエライわけじゃない。お客様は神様なんかじゃない。美味しい料理がすべて。粉骨砕身、営々精進して黙って作って黙って出して、客は黙って賞玩食してご馳走様でした。コレが理想。

映画だってそうだと思う。

上ネタ

上ネタといっても寿司ネタのことじゃない。

下ネタが、下半身・エロ話の類なら、上ネタというのは、上半身とりわけ口の話・食にまつわるアレコレだ。命名者は久住昌之さん。そう 漫画『孤独のグルメ』の原作者だ。(作画は谷口ジローさん)

久住さんはこう書いている。

ボクは全然「グルメ」じゃないのだ。

食べ物の漫画を作ってたけど、味のこだわりとか、食材調理の蘊蓄は、一切書いていなかった。ボクが描いていたのは、一貫して「お腹が空いてしまう、ということに始まる、如何ともし難い滑稽」(これをしばしば「下ネタ」に対する「上ネタ」とボクは表現している)。【The Jiro Taniguchi Collection 『かの蒼空に 坊ちゃんの時代 第三部』2021.12.29 附録冊子 エッセイ「馬鹿馬鹿しいまでに淡々と、キッチリ」:太字強調は引用者】

孤独のグルメ』の主人公 井之頭五郎(ゴローさん)の言葉。

モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか救われてなきゃあ ダメなんだ 独りで静かで 豊かで‥‥‥

いいなぁ。

そっくりそのまま映画に置き換えたくなる。

映画を見る時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか救われてなきゃあ ダメなんだ 独りで静かで 豊かで‥‥‥

ゴローさんについて、食のエッセイスト平松洋子さんはこう書いた。

なんと上等な孤独だろうか。声高に語ることが苦手で、お客の立場をこれ見よがしに持ち出したりせず、驚いたり発見したり、ときには戸惑いや後悔さえ調味料にして、なんでもない野菜炒めを一期一会のひと皿に仕立ててしまう。それをこそ、ほんとうの贅沢というのではないかしら。自身との対話を思いのままにふくらませ、内なる王国を治める心持ち。ゴローさんの一挙手一投足には。だから、ぶっちぎりの自由がある。

「さあ楽しませておくれ」という上から目線や蘊蓄はもちろん、ハッタリのかけらもない。隙あらば上座に座ろうとするそぶりなど、もちろんない。【単行本『孤独のグルメ 2』扶桑社 2015.9.30. 巻末特別寄稿「上等な孤独について」】

つくづく いいなぁ。

飢えや渇きを満たすというより、日々の日常的食事のように、腹を満たし胸に響く映画。みんなで観ても独りで静かで豊かで‥‥孤独のグルメ。上ネタ上等じゃないか。