2ペンスの希望

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地産地生

昨日は、「ご当地映画」について取り上げた。うっすら後味の悪い思いが残ったので、
今日は、ひとつ口直しを‥。
岡山県でトマト農家をやりながら映画を作る山崎樹一郎さんの長編第一作をあげる。

予告編で、映画のレベルもラベルも大違いだということが上手く伝われば良いのだが‥難しいかもしれない。そもそもが予告編はどれも嘘をつくための代物だから。いつだって「取り扱い注意」なのだ。気になる人どこかピンときた人は、自分の目で現物(本編)を見て確かめてもらいたい。
山崎さんは、自らの映画を〈地産地生映画〉と規定している。「私たちは日々遠くからやってきたものを消費する。食べ物も、文化も、情報も‥‥。そしてさも世界が繋がっているという錯覚にたいして、私たちは盲目であり、無関心である。ただ、岡山で撮った映画を岡山で公開する。ただ、岡山で育った農作物を岡山で消費する。世界ではなく足もとを感じることが、より豊かになることだと思う。ここに生きるということ、今いちど立ちどまり、ともに考えたい。」【岡山県内巡回上映用チラシから無断引用】
進化してきたのは、技術と資本だけ。今や日本の映画は玉石混交を通り越して〈液状化〉している」コレが拙ブログの現状認識だ。「目指すべきメジャーはもはや存在せず、映画人は兼業化必至、低空飛行から高みを目指すしかない」とも思っている。
新しい「映画人」は何処にいるのか、何処から生れるのか、正直全く分からないが、コレだけははっきり言える。既成の映画業界及びその周辺にたむろする怠惰な人種からは絶対に生れない。雨後の竹の子状態の映画系大学、専門学校も絶望的だと思う。背中に映画命の刺青を刻んだ若く勤勉な努力家=「映画本位制」で生きようとする人士が、「在野」から登場してくる。そんな予感がある。
ただ、もどかしいことだが、「勤勉」も「努力」も映画の出来不出来には無関係、直接には繋がらない。(‥そんなことは、本物の「映画人」なら百も承知のことだろうが)
‥‥この辺りは、悩ましい。