先輩の監督さんとやり取りしていて、こんな話になった。
凸「最近の映画には、描写はあっても表現がない。「描写」や「説明」は
それなりに巧みになったけど、作り手の「これだけは云いたい」という切迫感に
裏打ちされた「表現」はめっきり減った」
凹「確かに」
凸「何でも撮れてしまうし、何でも作れるようになったことが問題だ。
その分、深く考えなくて済む」
凹「そういえば、かつて ワタシにも写せます、というコピーで大ヒットした8mmカメラが
ありましたね。」
凸「フジカシングル8!思えば、あれが過ちの始まり、諸悪の根源だったのかも‥」
凹「けど、技術の進化を悪者にしたんぢゃぁ、浮かばれませんよ。
なにも若者の責任でもないし‥」
凸「つなぎにもしまりがなくなった。ダラダラと長い。
表現というものは、短くて切れ味鋭いもんだ。そう教わってきた」
凹「あれこれこねくり回すのじゃなくて、スパッと判る。誰にでも伝わる!」
凸「そう、それと君が良くいってるけど、「画がある」「画がない」、あれだよ」
凹「う〜ん。でもね。この前、若い衆に言われてしまいました。「画がない」っていうの、
良く判りませんって。」
凸「作りたいから作る、見せたいから見せる。けど、判ってもらえなくても良い。伝わら
なくても構わない。そういうことなら、表現するとか、物を作るとかって一体何なんだ
ろうね。」
凹「昔は、そんなのは自己満足、ひとりよがりだ、って良く叱られましたよね。」
凸「自己満足で何が悪い、と言われちゃあ、オシマイだよね」
‥‥‥ 「イマドキの若い者は‥」とか「昔は良かった‥‥」なんて言い出したら間違いなく老化の始まりだろう。ダラダラと長くなるのも‥問題あり。
ということで、ここらで止める。
けど、老化しているのは凸凹組なのか、イマドキの若い衆なのか、どちらなのか正直
わからない。