2ペンスの希望

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児戯却下

もちろん映画はどんな形で作られても構わない。
が、児戯に等しい映画は正直見苦しくていけない。子どものホームビデオを見せられて喜んでいるのは、家族と関係者だけ。そんなことは判りきったこと(の筈だっだ)。
たまに「少年の純真さを失っていない」とか「少年の心を持った大人」といった賞賛を目にする。あれも大間違いだ。
かつて大病した時の話をする。リハビリを終え退院して社会復帰した時、一番怖かったのは、子どもの振る舞いだった。街中や駅のホームで見かけるとそっと逃げた。どう動くか判らないのが恐ろしいのだ。対処のしようがない。大人ならそれなりの予測がつくのだが、子どもは始末に負えない。自分しかなくて何をしでかすかわからない。自分の打算で動く。そのための計算高さと狡さだけは身についている。それがまた無意識。だから余計に難儀。残酷極まりない。そう痛感した。
経験の重みと成熟、手段と感情の統御」これが欠けては目も当てられない。要するに、ウデが無いのだ。人に観てもらえるものを作ろうとするなら、心構えも心得も、弁え(わきまえ)や嗜み(たしなみ)も欲しいものだ。児戯は却下。
いい大人なら、「少年の心を失わない大人が作った」なんてものは、金輪際 信用してはいけない。