“ドキュメンタリー”はいま、かつてなく面白い とのキャッチフレーズを掲げて創刊されたドキュメンタリーカルチャーの越境空間『neoneo』という雑誌を読んだ【2012年9月1日Vol.1発行】創刊特集は「さようならドキュメンタリー」と刺激的かつ問題提起的だ。
恐らくは、若い世代向けの真摯な啓発マガジンたらんとしての船出なのだろうから、ロートルがしゃしゃり出てあまり硬いことを言うべきではないのだろうが、
気になったことを二つ、三つ。
「さようならドキュメンタリー」と謳いながら、特集が目指したのは、「こんにちは真の(あるべき)ドキュメンタリー」のように感じた。
『「フィクション」と対立する「客観的な記録映像」を意味し、ときにジャーナリズムと同様のものとひと括りにされ、ときに教条的なプロパガンダと見なされてきた』従来の「ドキュメンタリー」観に別れを告げようとしながら、結局は正しい「ドキュメンタリー」観の薦めになってしまっていることが残念だった。折角の出発なのだから、『映画はすべて作りモノ、程度の差こそあれフィクションとノンフィクションに本質的な差異はない』という程度の基本認識から出発して欲しかった。各界各氏に実施・回収したアンケート結果では、鈴木志郎康さんや諏訪敦彦さん森達也さん松江哲明さんその他実作者から質問内容やその設定【Q1:「ドキュメンタリー」とは何だと思いますか?Q2:これぞ「ドキュメンタリー」である、と思う作品や活動は何ですか?具体的な作品名、プロジェクト名などを一つ挙げてください。】にやんわりと批判が寄せられていた。あげくQ2については、安岡卓治さんから「数多の作品やプロジェクトの中からひとつを特定することこそ、ドキュメンタリーそのものを矮小化するものである。そのような問いと決別することこそ、「さようならドキュメンタリー」なのではないか」と直球の批判があった。
加えて、「ドキュメンタリーとさようならするためのブックガイド」として16冊の書物が紹介されているのにも違和感を感じた。セレクト内容は置くとしても、いかにも教養主義的ではなかろうか。
映画中心の雑誌だと思っていたのに、巻頭インタビューに登場したのが、演出家(舞台・パフォーマンス)、写真家、ノンフィクション作家の三人、映画分野からはゼロというのもいささか寂しかった。ともあれ、『キネマ旬報』も『映画芸術』も真面目に読まず『映画秘宝』は手に取ることもしない拙だが、近頃珍しい映画雑誌の発刊、期待して長い目で見守っていきたい、という思いは強くある。