2ペンスの希望

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わかりやすさ病

昨日に続いて太田直子さんの本『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』から。
最近、字幕がついていないと配給元や発売元に来るクレームがけっこう増えた、という話を書いている。
意味がわからず宙吊り状態にされると、どうにも居心地が悪く落ち着かないのだろう。ここにもまた「わかりやすさ」を求める時代の流れを感じる。」本文ではこの「わかりやすさ病」について字幕製作者らしい見識が述べられていくのだが、ここでは割愛、脱線。
昨今の映画全般の「わかりやすさ病」について書く。
確かに「わからないままでは居心地は悪い」。拙も「誰にでもわかるように作れ」とくに「テレビ番組は中学三年生程度に分かるように」と言われながら育ってきた。しかし、「わからないままで先に行く大人の知恵だってそう捨てたもんじゃない」最近とみにそう思うようになってきた。ましてや映画である。テレビでも義務教育でもない。あれこれ勝手に想像(妄想)してもOKじゃあなかろうか。「意味がわからず宙吊り状態のまま先に行くサスペンスは映画の醍醐味のひとつだった筈。過保護・過剰サービスは遠慮したい。なのに、皆性急に答えを求めすぎる。世の中、答えはひとつじゃなかろうて。
答えなんて無数にある、そう思った方が良さそうに思うのだが‥いかが?
もっとも、生煮えの独り善がりが問題外の外なのは何度も書いてきたとおり。
このあたりの「按配」「いい加減」が表現の味になる。むずかしいものだ。