2ペンスの希望

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少年漫画

少年漫画については永らくご無沙汰だった。先日久方ぶりに手に取って驚いた。
進歩なのか退歩なのかは正直よく分からんが、昔に比べて感情や意識の表現がどんどん細かく深くなっている。そう感じた。ディテールへのこだわり、トリビアルへの言及がハンパないのである。以前であれば見過ごされたりスルーされたであろう気持ちのちょっとした揺らぎ、些細な感情反応も見逃さず、細かく描写フォローされる。このあたりに若い読者の支持・共感があつまるのだろうなぁと、納得した。
「最近の若者は、半径数メートル以内のことにしか関心を示さない」とはよく言われることだ。たしかに、天下国家を論じる〈大きな物語〉は姿を消した。題材は、家族関係、友人や恋愛、部活やスポーツ、就活などに集中している。ご近所・身のまわりにこそ世界のすべてが集まっている、そう信じているかのように少年漫画は、日常を掘る。息苦しさから目をそらさずに掘り進む。なかなか達者なものだと感心した。
映画がどんどん浅く、薄っぺらになっていくのとは対極に、少年漫画はどんどん深く、厚みを増している、そんな風にも見えてくる。
この違いは何故から来るのか。考えてみた。
そして、読者・観客の差だと思い当たった。
観客動員数千〜数万人と販売部数百数十万部の差は歴然だろう。
例えば、週刊少年マガジン。一冊448ページで定価260円。最盛期の436万部にはとてもおよばないが発行部数は今でも130万部を超える。これは映画の比じゃない。毎週毎週、漫画家と編集者のタッグ・バトルが、何百万人かの眼に晒されることで、さらに厳しく選別され淘汰されていく。得難い舞台だ。それに比べて映画は閑古鳥。端っこ、路地裏の密室で酸欠状態に陥っている。仲間内での閉じたサークル(円環)活動と衆人環視=世間の風・吹きっさらしにさらされてのサバイバル競争。
どちらが健全かは自ずと明らかだろう。
才能は、人気のあるところ・注目を浴びるところに集まるという常識を鵜呑みにしたくはないが、ガンバレ映画!と言いたくなってくる。